こんばんは、ウェルビーイング池上です!
本日私のお気に入りの練習コースは50m先もかすんでしまうほど霞がかりほとんど前が見えませんでした。野生動物も私の認識が遅れるのか、今日はキツネとカワウソとカモを間近で見ることが出来ました。私が今いる京都府亀岡市は霧の都と言われ秋と春には霧や霞がかかり、200mトラックの反対側がかすんでしまうほどです。ちなみにあなたは霧と霞の違いをご存じですか?
自然現象としては霧も霞も同じものなのですが、秋に出るものを霧と言い、春に出るものを霞と言います。日本語の美しさの一つはこのように季節特有の言葉があることだと思います。確かに言われてみれば「霧の深くかかりたる秋晴れの朝」と言われれば、朝は霧が深くかかり午後からは雲一つない爽やかな一日が心に浮かび(霧が深い朝の日は100%晴れの日です)、「霞化粧に身を包みし山のふもとに見えたる春の伊吹」と言われれば、山のふもとの桜の木に桜の花のつぼみが見えたり、一部にはすでに桜の花が咲いている情景が見えます。
さて、たまには日本人らしく時候の挨拶から書き始めたのですが、ここであなたに一つ質問です。あなたにとって霧や霞が出ることは普通でしょうか?当たり前のことでしょうか?私にとっては、今でこそ普通だとは思いませんが、昔は京都と丹波(同じく霧の都、丹波霧という固有の名称もある)と亀岡くらいしか知りませんでしたから、世界には霧の出る町と霧の出ない町は半々であるくらいに思っていました。時には、「京都には霧でえへんねんで」と物知り顔で言っていましたが、この歳になって分かったのは、霧が出る方が珍しいということです。
そうすると、私にとってはごくごく当たり前のことでも、ほかの人からすると「なんて趣深い景色なんだ」と思う人もいれば、「こんな湿気てじめじめした不快度指数の高いところに住んでられるか」と思う人もいるはずです。そして、どちらのケースにおいても、恐らく住んで何年か経てば、それが普通になります。これをコンフォートゾーンというふうに言います。コンフォートというのは本来は快適という意味なのですが、人間は例え積極的に快適だと思っていなくても、慣れ親しんだものがコンフォートゾーンになるのです。
私にとっては亀岡がそうです。別に積極的に住みたいとは思いません。人口9万人のごく普通の中小都市です。特にここに住む強いメリットがある訳ではありません。でも、私には小さいころから見慣れた田園風景、山並み、流れる川、人でごみごみしていないけど、買い物に困らない程度の都市開発、このすべては慣れ親しんだ世界であり、何のストレスもありません。
このコンフォートゾーンは全てのものに当てはまります。収入、学校でのテストでの点数、マラソンのタイム、5000mのタイム、男女関係、友達の数などなどすべてのものにコンフォートゾーンが働きます。このすべてに正解も間違いもありません。私が中学生のころ、テストでは80点以上取らないと物凄いストレスを感じました。70点台だと次は頑張ろうと強く思います。その一方で、90点以上取れると嬉しかったです。
人によっては60点が合格ラインの人もいますし、90点が合格ラインの人もいます。90点の人は100点に近ければ、嬉しいけど、85点しか取れないと非常に大きな不快を感じ、その不快を消すために不屈の努力をします。これは私にとってはごく普通の霧という現象が、人によっては「非常に趣深い景色に見えたり」、「出勤するだけで服が湿気たり、まつ毛に露がたまったりするのがうざい」と感じるのと同じです。
これを端的に表した言葉が「住めば都」です。人は慣れ親しんだ環境が心地よく感じるものです。これは様々なレベルで当てはまります。私にとっては、これまでの人生の大半で、彼女がいないのが普通でした。彼女だけではなくて、プライベートの付き合いはないのが普通でした。でも人によっては常に女性関係のあるのが普通の人もいます。彼女も一人ではなくて、二人三人といるのが普通の人もいます。友達付き合いも毎週末プライベートでの予定がないと寂しく感じる人もいます。一方で、私は週に七日仕事があるのが普通です。これはどちらが悪いとか良いというのはありません。
重要なのはあなたのビジョンと現在のコンフォートゾーンが一致しているかどうかです。サブ3を達成したいのであれば、月間で200-300kmは走った方が良いです。これより少なくてもサブ3はできますが、このくらいの練習量の方が体にかかる負担も心にかかる負担も少なくなります。そして、当然練習の量だけではなく、質的にもこのくらいはクリアしておかないとサブ3はできないというラインがあります。
問いはこういうことです。仮にあなたがサブ3を達成したいのであれば、あなたはそのレベルをクリアしていなかったら不快に感じますか?サブ3を達成したい人が休養期間でもないのに、3日間走れない日が続けば非常に大きなストレスを感じるはずです。サブ3が当たり前になっている人は5000m19分10秒で走れるはずのレースで19分10秒で走れなかったら、非常に大きなストレスを感じるはずです。月間走行距離が80kmになったら、非常に大きなストレスを感じるはずです。
これは逆の言い方をすれば、サブ3がコンフォートゾーンになっている人は、実は努力しなくてもサブ3はできるということです。走らなくてもサブ3が出来るという意味ではありません。サブ3に必要な練習をやらない方が大きなストレスなのです。テストで80点がコンフォートゾーンの私からすれば、90点取るための努力は大変だけれど、90点がコンフォートゾーンの人からすれば、80点に甘んじている方が大きなストレスで90点を取るための勉強は歯を磨くくらい普通のことというのと同じ理屈です。
今回は色々な例を出したのですが、最後にもう一度問います。あなたは自分のヴィジョンとコンフォートゾーンが一致していますか?少なくとも一段上へとずらそうとしていますか?目標(ヴィジョン、理想、理念)を立てたのは良いけれど、コンフォートゾーンはいまだに昔のまんまだという方は、コンフォートゾーンを一段上にずらしてください。
長距離走、マラソンについてもっと学びたい方はこちらをクリックして、「ランニングって結局素質の問題?」という無料ブログを必ずご覧ください。
Comments