こんにちは、ウェルビーイング株式会社代表取締役の池上秀志です。
今回は私が防府読売マラソンで失敗した理由を書いてみようと思います。本当はわざわざ記事にするのも言い訳めいていてやめておこうと思ったのですが、ありがたいことにウェルビーイングオンラインスクールの受講生の方から「どうして上手くいかなったのか書いて欲しい」とのリクエストを頂きました。本当はもっと早く書くつもりだったのですが、実は防府読売マラソンの前からある有料会員様より本を一冊書いて欲しいと言われていたので、そちらを先に書いており、すっかり遅くなってしまいました。
改めて、私がどうして防府読売マラソンで失敗したのか、私なりの感覚、そして私のコーチであるディーター・ホーゲンからのコメントも交えて書かせていただこうと思います。
さて、今回の防府読売マラソンに向けての練習を始めたのはおよそ3ヶ月前です。その前は基礎練習をしていました。去年の3ヶ月でのベルリンマラソンでのオーバートレーニングで完全に体を壊しながら、少しずつ少しずつ戻していきました。頭がフラフラして、キロ5ですら、走れなかったり、ひどい時は気を失ったこともありましたが、その症状が出る日が徐々に減っていきました。最後にその症状が出たのはマラソンの11週間前でそれ以降は頭がフラフラする症状は出ませんでした。
それまでもその時々でできる基礎練習をコツコツと積み重ねることができていたので、マラソントレーニングにはスムーズに入っていくことが出来ました。400m20本と40km走では人生でもベストなワークアウトをこなすことも出来ました。一つ気がかりだったのは、インターバルも速いペースでいけている、距離走も速いペースでいけている、主観的な疲労感もそれほどない、それにもかかわらず1キロ3分から3分5秒くらいのレースペースが充分に楽には感じられなかったことです。もちろん、インターバルではそれよりも速いペースで行っているわけですから、楽といえば楽なのですがマラソンは42kmです。それをイメージした時に、充分楽とは感じられませんでした。
ですが、全ての練習で楽に感じられなかったわけではありません。一度疾走区間の合計が16kmになるインターバルをしたのですが、その時は2:59-2:57/kのペースでマラソンをイメージした走りが出来ていました。しかもそれはマラソンの5週間も前です。ところがその後、マラソンが近づいても同じような感覚は持てませんでした。勿論、頑張れは1キロで2分50秒を切ることはできました。でも感覚的にこれでマラソンでもいけるという力を使わずに1キロ3分から3分よりも少し遅いペースで走るという練習はできませんでした。
一度できたことが何故できなくなったのか?勿論、オーバートレーニングだからです。私は予定していたいくつかの練習を変更して、修正を図りましたが、結局レースの日までに戻すことが出来ませんでした。そして、今から思えばですが、そんな状況の中で40km走と35km走でこれまでには出来なかった練習ができてしまったこともさらに状況を悪くしていたと思います。私としては「これだけ脚が重い状態で、これだけの内容を、この疲労感で出来ているんだから力がついたな」と思っていました。「力がついた」のは間違いないでしょう。ただ、レースから1ヶ月を切った段階で、オーバートレーニングの状態から一度回復していたとはいえ、今までにやったことがないほどの負荷をかけたのは結果論としては、完全に誤りでした。結局、最後の最後まで脚の重さが取れないままレースを迎えることになってしまいました。
四日前の10キロ走では、ちょっと体が重くてあまり状態が良くないなとは思っていました。ただ、トータルでの練習はしっかりと出来ていましたし、脚が重い状態でもしっかりと体を動かすことが出来ていました。練習は一人でやるので、単独走にも不安はありません。集団の力を借りながら、もし状態が悪ければ早めに集団から離れて3:10/kで一人でおしていこうとは思っていました。ついていけるところまでついていくのではなく、早めに離れて、ゴールまで3:10/kで走りきれるところで離れようと思っていました。ですから、レース当日に11キロ過ぎで集団から離れたのはある意味では予定通りです。脚が重いなとは思いましたが、それは四日前刺激の時点で覚悟していたことでした。そこから、拾っていくというレースプランでしたから、黒崎播磨の園田さんと旭化成の吉村さんが落ちてきたのを見て、それを拾って最後までいけば良いと思っていました。
実は園田さんが落ちることは事前に予想していました。吉村さんが落ちることも初めの10キロの走りを見て予想していました。ただ、吉村さんも園田さんも一旦集団から落ちてもそのまま走り切るタイプの選手です。園田さんは今回はだいぶコンディションが悪かったようですが、吉村さんは2時間14分で走り切っています。予定通り吉村さんを拾って、そのまま最後まで行って35kmあたりからペースをあげれば自己ベストが出ていました。読み自体は間違っていません。
ただ、15キロを超えてから私の脚はどんどん重くなり、もはやそれ以上動きませんでした。なすすべもなく、ひたすらタイムが落ちていきました。やはり練習の段階で、きっちりと状態を修正しきれていなかったのでしょう。
ここまでは私の主観ですが、コーチからのコメントも記しておきましょう。私とコーチホーゲンはドイツ語でやり取りをしているのですが、語感を残すためにあえて直訳調で訳させて頂きます。一部不自然な日本語に感じられる部分もありますが、あえて意訳はせずに、直訳します。
「勿論、たくさんトレーニングした末にレースの結果が悪くて残念だ。それは常にひどい出来事で、競技者は誰も望んでいない。
しかしながら、お前はいつも同じことをしている。取り組み全体から学ぶということが出来ないようだ。
君のことを人間としては好きだし、他の選手も君と上手くやれるだろう。しかしながら、お前はありえないほど固い頭を持っていて何も中に入っていかない。勿論、私はレースの前に自分の意見はいったし、今回の結果は私が予想した通りのものだった。なぜなら何週間もお前が何も学んでいないのを見て、過去にやったのと同じ失敗をしていたからだ。
お前はたくさん哲学的な説明はするが、それらは泡と煙で現実には何も変えない。お前の最大の問題は常に頭で体を管理していることだ。常に自分を追い込みすぎていて、重要な練習において自分のレベルに相応しい余裕を残していない。
余裕を持って走り始めるということに関しては(筆者注 ネガティブスプリットを作る)学んだようだが、トレーニング全体に関していえば、常に自分の限界までやっていた。距離走に関しても、スピードワークにしても、お前のレベルからすると速すぎた。お前に一つの例をあげようと思うが、私が過去に指導した世界のトップレースで好タイムで優勝した選手たちがレースの8日前にやった10km走はお前が4日前にやった10km走のタイムよりも遅かった。
どうしてお前がそんなトレーニングをしたのか皆目見当もつかないが、お前はすべてのことに対して哲学的な説明をするのだろう。最大の問題は常に余裕もなく限界まで追い込んで、体の知恵を頭の知恵で置き換えてしまうことだ。常に高速道路の上にいるようなものだ。
良いトレーニングができると疲れ切ってしまう、脚が重くなる、そして、少し練習を軽くして、体の状態が良くなるとすぐに全力で練習をする、そして、また状態が悪くなる、そしてまた修正して良くなる、これの繰り返しで継続性に欠ける。本来は4ヶ月間常に状態を上げていって、万事順調にいかないといけない。この状態に陥ったのは今回が初めてではない。外から見ているとお前の失敗は簡単にわかるけど、お前は常に自分が賢いと思っている。
もう一つの例をあげよう。私が指導する3000障害のヨハネス・モッチュマンは2週間前のヴィーンでのマラソンに出場した。彼の走技術や体の大きさを考えると、マラソンには向いていないが、どうしても一度走りたかったらしい。遊びで出るには全く問題はないし、むしろ楽しみだというのが我々の結論だった。彼はごく普通に練習をして、追い込みすぎなかった、そしてヴィーンマラソンでは2時間14分で走って2番に入った。お前ならもっと速く走れるだろうが、もう一度お前の問題を説明したまでだ。
コーチ」
さて、私自身は今回のトレーニング全体において、自分の思うように、信じたようにやりました。レース前はあまり疲労感も感じられず、過去と全く同じだったとは思いません。しかしながら、説明するとまた哲学的な説明だと言われるのでやめておきましょう。
ただ、私自身も改めて振り返ってみると思うことはあります。
1つ目は、力を使わずに走るということが徹底できていなかったなということです。今回のマラソントレーニングを考えるにあたっては他の選手のトレーニングや過去の自分のトレーニングを何度も見てああでもない、こうでもないと考えながらトレーニングを組み立てました。しかしながら、基本中の基本を一つ見落としていました。それは、トレーニングが書かれた表には距離と時間は書いてあるけど、感覚は書いていないということです。よくよく思い返してみると、良い練習ができていた時も、決して追い込んでいってその状態に持っていったという感じではありませんでした。継続的に追い込まずに、少なくとも力を使わずに走るということを追求していく中で、何ヶ月もかけて仕上げていったものでした。結局、追い込むという感覚を持たずに、リラックスして力を使わずに走れるタイムを徐々に上げていかないとレースで使えるものは作れないなと感じました。
2つ目は最後の4週間のトレーニングです。私のコーチも以前「最後の4週間に新しいレベルに到達しようとるするのは間違いだ」とおっしゃっていましたし、現在ノーリツの指導をされている里内正幸さんも「最後の1ヶ月くらいは、もう追い込まない。きつい練習もやるのはやるんやで。やるねんけど、鍛えるというよりはこれで状態を上げていくと思ってやる」とおっしゃっていました。にもかかわらず、私は4週間前を切ってから、今までやったことがないペースでの40km走と35km走を入れていました。3週間前の40km走はギリギリ許容範囲内だったのかもしれません。でも、2週間前の35km走は余計な練習でした。もっと言えば、11日前にマラソンレースペースよりもちょっと速いペースとちょっと遅いペースを繰り返すハーフマラソンの変化走もやっていましたが、これも余計だったかもしれません。
3つ目は昨日平井健太郎とご飯を食べにいって突き刺さった言葉があります。平井って誰?という方は過去のブログ記事「平井健太郎という男がいる」をご覧ください。伝説の男です。平井に言われたのは「結局ジョグで自分の体調がつかめないといけない。ジョグの感覚で、今自分が10キロを全力で走ったらどのくらいでいけるのかという感覚がつかめないといけない」と言われました。私はと言えば、もちろんコーチから言われた課題は自分でもよくわかっていました。ですから、それを避けようとして何をしたかというとレースに近い刺激をかけました。結局、遅いペースやつなぎのあるインターバルで良い走りができても、レースで走れるとは限らない、自分の体調を正確に知るにはある程度(あくまでもある程度です)レースに近い刺激をかけてその時の感覚で自分の状態を正確に知り、そこから修正していった方が良いと思ったのです。その結果として、コーチが言うように「良い状態が作れても限界点でやるから、疲れて、脚が重くなる、そして修正するとすぐに全力で練習をするから、また悪くなって、そしてそれを修正しての繰り返し」になっていました。よく考えてみれば、自分がどのくらいお金を持っているのか知るためにお金をどんどん使うようなものです。そんなことをしたら、すぐにお金がなくなります。レース当日、私の手元にはもう使えるお金は残っていませんでした。普段から自分の体調を把握し、過不足なくトレーニングしていくことの重要性を再認識しました。
平井はレースで結果を出すには大まかに最大酸素摂取量、筋持久力、レースペースで楽に走れるかどうかの3つの要素を挙げており、最大酸素摂取量と筋持久力に関してはレース直前で大きく変わることはありません。良くも悪くももう変わらないので、余計なことをしないことの方が重要です。一方で、レースペースで楽に走れると言う技術の部分に関しては、間を開けると忘れてしまうこともあります。これは野球選手の好不調を見ていただいてもお分かり頂けると思いますが、技術的なものは一度マスターしてと思っても続けていかないとその感覚が消えてしまいます。その感覚が消えてしまわないようにするのが最後の1ヶ月くらいの練習といったところです。あとは1週間くらいならほとんど落ちませんが、1ヶ月となると何もしないと落ちてしまうので、維持させておくという目的もあるでしょう。
何れにしても、「最後の4週間で新しいレベルに到達しようとしない」という原理原則を忘れていた訳ですから、コーチから「学習能力がない」と言われても仕方ないでしょう。
さて、今回は私の失敗を書かせていただきましたが、この失敗談があなたの参考になれば幸いです。
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