さて、そんな話はどうでも良いのですが、昨今日本の陸上界のレベルが上がっていると言われています。高校生のレベルアップもすさまじいものがあります。私が高校生だった2009年から2011年の間でもそれ以前と比べればかなりレベルは上がっていました。
今は更にそこからレベルが上がって、5000m13分台が年間数十人出るようになっています。1970年代くらいまでは高校生の5000m14分台はほとんどいなかったのですが、私が高校生の頃は年間700人の高校生が14分台を出していました。それでも13分台となると留学生を除けば片手で数えられたのですが、今はもう少しレベルが上がっています。
今回はそんな高校長距離界の躍進の理由を探るとともに、市民ランナーの方のトレーニングに役立つ情報を提供させて頂きますので、是非最後までお読みください。
さて、先ほど高校生のレベルは私が高校生だったころと比べて大きく上がっていると述べたのですが、高校の5000m100傑のタイムで見ると、去年の100位は14分18秒、私が高校3年生の2011年度は14分25秒が100位なので大きくは変わっていないかなという感じです。
シューズの進化がどこまで影響をしているかは正直よく分かりません。私が洛南高校に入学した時の副主将で、立命館宇治高校で名将荻野由信監督の下でコーチを務め、現在は清風高校のコーチをされている高橋さんによると「俺らの時代でいう14分台が今でいうと14分40秒くらいちゃう?」とのことでした。
つまり、10年前の14分55秒とかそのくらいの記録が今はシューズの進化もあって14分40秒くらいなんじゃないかということでした。これは正確なことは誰にも分かりません。個人的にはシューズの進化は言われているほど関係ないのではないかと思います。
マラソンも2014年にデニス・キメット選手が初めて2時間2分台を記録して、現在は厚底シューズを履いても2時間1分39秒です。非公認で2時間は切っていますが、ロードレースというのは条件を整えれば記録は出るものなんです。デニス・キメット選手もBreaking2のようなイベントで走れば、もう少し記録は出たでしょう。
では、逆にエリュード・キプチョゲ選手は厚底シューズなしだと2時間2分57秒は切れなかったのでしょうか?
これも誰にも分からないことではありますが、私は出せたような気がします。あの、マラソンでのリラックスした走りと5000m12分台の自己ベストを考えれば出せると思います。
そう考えると、厚底シューズは意外と関係ないのではないかという気がしなくはないです。全国高校駅伝の記録は42.195kmで1分から2分程度しか我々の頃と変わっていません。
まあ、1分って大きいんですけどね。それを縮めるのにどれだけの努力をしたか。
ただ、ある実業団の指導者の方なんかは厚底シューズを履くと5キロで20秒から30秒変わるとおっしゃっていましたし、藤田信之元監督も野口みずきさんが厚底シューズを履いたら2時間15分は出ていたというようなことも記事になっていたので、そこまで極端ではないのではないかということです。
そもそも、高橋さんがおっしゃるように5キロで15秒速くなるなら、42.195㎞で二分速くなることになりますから、そうなると進歩したのはシューズだけで、高校生のレベル自体は我々の頃と全く変わっていないことになります。
実際に、高校生のレベルは若干レベルが上がっているように感じますが、実はこの10年間で大きくは変わっていないと思います。ただ、1970年代と現代ではかなりのレベル差があると言って過言ではありません。
先述の通り、私が高校生の頃は14分台が年間700人以上出ていたのに対し、1957年生まれの瀬古さんが高校生の頃、つまり1970年代前半はまだインターハイの優勝タイムは15分台です。
秋から冬にかけてはもう少し記録が出ていたようですが、それでも全体のレベルは現代とは雲泥の差があります。
1975年を例にとると、全国高校駅伝の優勝タイムこそ2時間9分台ですが、2位以降は2時間10分を超えており、入賞ラインは2時間13分台です。我が母校洛南高校はまだ強くなる前で、京都からは福知山商業が出場しており、2時間22分というちょっと今では考えられない記録です。
学校は違いましたが、私が中学時代に可愛がっていただいた先生の舟木正信先生が3区を走られています。
3位に入った中京大中京には小田和利さんと石川海次さんの二人の名前が1区と3区にあります。『冬の喝采』を読まれた方にはおなじみの名前でしょう。
一方で、今年の入賞ラインは2時間4分台です。私が高校生の頃は入賞ラインはだいたい2時間6分台でした。全員が1キロ3分ペースで刻んでいけば入賞できるか出来ないかくらいのレベル感でした。2時間5分台だと確実入賞かなという感じです。
ですから、この10年間では意外とレベルは上がっていないと私は考えるのですが、問題は1970年代からどうして一気にレベルが上がっているのかということです。時代が進めば進歩するのは当たり前と言われればその通りですが、その進歩はどこから来たのかを考え、我々自身のトレーニングの参考にしましょうということです。
高校生のレベルが著しく上がっているのは何故なのかと聞けば、多くの指導者が「量よりも質に重点が置かれるようになったからだ」と答えます。
では、量より質に重点が置かれるとは具体的にどのような状況でしょうか?
実は今も昔もインターバルトレーニングやテンポ走(ペース走、ビルドアップ走などなど)の頻度は今も昔も変わりません。せいぜい週に2回です。週に4回も5回もインターバルやタイムトライアルや高強度な持久走をやっている学校はありません。
寧ろ、逆に専門的な指導者がいない学校は週に4回も5回もインターバルをやっている学校がちょくちょくあります。
強豪校は多くても高強度な練習は週に1回か2回程度です。何故なら、単純にその程度が適切な頻度だと強豪校の指導者は知っているからです。
では、そのインターバルのペースが上がっているのでしょうか?
答えはイエスでもあり、ノーでもあります。確かに、上がっているのは上がっているのですが、それは単純に走力が上がっているからです。
基本的に、指導者も選手も速いペースで出来るならやりたいのですが、全体のバランスや積み重ねられるかどうか、実際に出来るかどうかを考えると結局現在の5000mの走力かその前後くらいから逆算して立てるしかありません。
そうすると、問いが堂々巡りになってしまって、「じゃあ、どうすれば5000mのタイムが上がるんだ」という話になってしまいます。
では、一体何が変わったのかということですが、昔の指導者の方々や先輩方の話をお伺いしたり、自分が高校三年間実際に洛南高校で陸上競技をやったり、他校の選手の話を聴いたり、あるいは現在の指導者の方々のお話をお伺いしていると次の二点の違いが出てきます。
1. 走り込みにも質を求める
2. 年間を通して、ある程度の質を求める
先ず、1点目の方から見ていきますと、昔の選手の走り込みの量ってちょっと半端じゃなかったんです。高校生でも普通に30キロ走とか40キロ走とかやっていたんです。普通にと言っても学校がある時もコンスタントにやる訳ではないので、せいぜい週に1回とか夏休みや冬休みなどの時期だけですが、それでも多いです。
私が高校生の頃はそもそも渡される練習に20キロより多い練習はなかったです。ただ、洛南高校は自主性を重んじる指導方針で、先輩方や私は勝手に30キロ、40キロと距離を伸ばしていました。ただ、渡される練習に30キロ走はなかったです。
ペースも、ジョギングではないですが、そういった走り込みはだいたい1キロ4分ペースが中心です。弱い選手は落ちていくので、そこから更に落ちていきます。
走り込みにも質を求めるようになったというのは、私達の高校時代、あるいは最近の選手達は20キロくらいまでしかやらない代わりに、どんなに遅くてもAチーム(一番速いグループ)で1キロ4分ペースを下回ることはないですし、1キロ3分45秒ペースや1キロ3分40秒ペースくらいのペースが普通にあり、強い選手はそこから後半更に上げていくこともあります。
16キロから20キロくらいの距離で、1キロ3分45秒前後の練習が普通に入ってくるようになったところが大きな変更点だと思います。
要するに、強い選手がいた時に余裕があるから距離を伸ばそうとなるのか、20キロまでで良いからペースを上げようとなるのかの違いと言って良いと思います。
20キロから16キロの距離のペースが上がると自然の摂理として、12000mのペース走や10000mのペース走のペースも上がってきます。
昔の選手は1キロ3分半とかでも高強度なペース走という位置づけのチームが多かったのに対して、私が高校生の頃は強豪校は3分20秒とか、3分20秒からペースを上げていくとか、3分半から3分ちょうどまでペースを上げていくとか、そういう練習が多かったように思います。
ちなみにですが、私の高校時代の恩師は当時64歳の中島道雄先生で、どちらかと言えば、古風なやり方でした。ペース走のペースもそんなに速くなかったですし、距離走も「高校生は1キロ4分でええ」が口癖で、場合によってはそれよりも遅いペースからスタートすることもありました。
報徳学園、大牟田高校、西脇工業、鳥取中央育英高校(元由良育英高校)などの伝統的な強豪校では指導者が代変わりしており、どんどん若い指導者のやり方が中心になってきており、どちらが正しいかは別にして、やり方の違いというのは感じていました。
これは一つ大きな違いです。
もう一つの年間通して質を重視するというのはどういうことかというと、先ほどの話ともつながってくるのですが、昔の方が期分けははっきりとしていたように思います。夏休みや冬場のいわゆる鍛錬期というのは昔の選手達はほとんどスピード練習をせずに、ひたすら走り込みをしていた傾向にあります。
そして、繰り返しになりますが、走り込みにおいては今ほど質を求めなかったのです。洛南高校では基礎体力作りという名目のもと、縄跳び、手押し車、ミニハードル、シャフト、ウェイトトレーニング、鉄棒、種々の体幹補強、ラダー、ハードルドリルとこれでもかという補助的練習が取り入れられ、自衛隊に早変わりしていました。
おそらくなかったのは縄登りとほふく前進と射撃くらいです。
一応捕虜尋問の実践練習も1,2年生のミーティングという名目の下行われておりました。
今の選手も期分けは行い、シーズン中と夏場や冬場の練習内容は変わります。ただし、昔ほど極端ではなく、例えば、インターバルをやる代わりに登り坂での登坂走があったり(これは私が在籍していた洛南高校もありました)、走り込みにも質を求めたり、遊びの要素も入れて駅伝をやったり、遅めのペースのインターバルをやったり、質の要素が入ってきています。
非アフリカ系選手で初めて5000m12分台をマークしたボブ・ケネディ氏も鍛錬期(The fundamental period)においては総走行距離を増やしていくが、総走行距離を増やすことだけ、つまりゆっくり長く走り込むだけではない、各期に応じて重点を置く要素が変わるだけで、年間を通して量、質、強さ(筆者注 主に高強度な持久走を指す)の要素を取り入れるべきであると述べておられます。
あと、変更点としては洛南高校陸上競技部から捕虜尋問の実践練習はなくなったようです。
共通点
では、同じ部分は何かというと練習の頻度でしょう。長距離の強豪校は今も昔も二部練習です。全寮制の学校は土日も二部練習の学校もあります。その場合は、月曜日と木曜日が朝練習だけだったりします。
いずれにしても、二部練習を主としながら、学校がある日はそんなに長く走らないので、今も昔も高校生の基本的な練習の距離は8キロから12キロです。これに関しては、大きな変化はありません。つまり、量より質になっても練習量自体は大きく変わらないのです。
また、インターバルの設定タイムは基本的には5000mのレースペース当たりを基準にするという点も変わりません。
もちろん、トラックシーズンに1500mをメインでやる選手や800mをメインにやる選手はその種目の設定タイムをメインにやりますが、今の時代は量より質だから、インターバルでは常に1500mのレースペースを基準にレペティション的な練習が中心になっているという訳ではありません。
また、期分けがきちんとなされているのも、今も昔も共通しています。なだらかに分けるかはっきりと分けるかの違いだけであって、今も昔も期分けをやることに関しては同じです。
さて、ここまで見てきた上で、高校の陸上長距離界のレベルが飛躍的に上がっている理由ですが、実は私が前回の「総走行距離を増やすメリット」に書いてあることと同じだと考えています。
トレーニングの最終的なゴールの一つはレースペースの95%から105%の間の練習量をなるべく増やし、それに対して故障やオーバートレーニングなく適応することです。
そして、その為にはレースペースの90%から110%あたりの練習に問題なく適応しないといけないですし、その為にはレースペースの85%のトレーニングや80%のペースの練習量を問題なく増やしていかないといけません。
理由は単純で陸上競技で求められるのは、スピードでもなく、持久力でもなく、スピード持久力だからです。そして、スピード持久力を高めるには、段階を踏むしかありません。
高校生の長距離ランナーは14分台を出せば、とりあえず高校生らしいかなという感じです。強豪校の遅い子がギリギリ15分切れないくらいで、普通の公立高校の速い子が15分切るという感じです。
仮に5000m15分ちょうどで計算すると、90%は1キロ3分18秒ペース、85%だと3分27秒、80%だと3分36秒です。このように考えると、走り込みの質を上げるという発想が非常に理にかなっているように思えないでしょうか。
そして、偶然にも1キロ3分18秒ペースは現在の駅伝強豪校がよく高強度な持久走(ペース走、テンポ走、ビルドアップ走)で使うペース帯です。もちろん、実際のペースは選手の走力や状態に応じて微調整しますが、だいたいのペース感覚がお分かりいただけるかと思います。
要するに、1キロ4分ペースの走り込みは、高校生がレースで結果を出すためには遅すぎるのではないかということです。そうかといって、25キロや30キロを1キロ3分半のペースで走らせるのも非現実的です。
結局、16キロや20キロを1キロ3分40秒ペースでやるとか、12000mを3分半のペースでやるとか、8000mを3分20秒ペースでやるとかそういった練習を期分けをしながら、年間通して行うことでレベルが上がっているのではないかと思います。
ちなみに、私が高校に入学する前年は佐久長聖高校が全国高校駅伝で完全優勝していました。二つ上には大迫傑さんがいらっしゃってまさに全盛期です。
それで、入学した時に聴いたのが佐久長聖高校ではジョグが1キロ3分40秒ペースだということです。全ての練習が3分40秒ということではなく、各自ジョグでもっとゆっくり走る日もあったようなのですが、そのあたりは当時の私は理解していなかったので、「落としの日でも3分40秒かー、凄いなー。自分もなんとかそこまでもっていかなくては」と思っていました。純粋馬鹿ですね。
それはさておき、集団走はそのくらいのペースが中心だったのは事実で、高強度な練習以外の日もそのあたりのペース帯の練習を継続的に行っていました。そうすると、当然高強度な練習の日にこなせる練習のレベルも上がります。
つまり、インターバルの練習のレベルが上がっていきます。当然、レースでの結果が上がります。こういったサイクルが出来ていたのではないでしょうか。
また、流しが速かったり、200m5本などでレースペースよりもはるかに速いペースでの動きを頻繁に入れていたのも積み重ねで作用していたのでしょう。つまり、レースペースの110%以上の動きも補助練習的に継続的に入っていたということです。
ここまでの内容は全て、そのまま市民ランナーの方にお使いいただけますので、参考にして下さい。
蛇足だと思いますが、当然走力が変わればレースペースの80%や90%の数字も変わってきます。ですが、原則は変わりません。
種目が変わっても同じです。5000mレースペースの80%のペースは当然マラソンレースペースの80%よりも速いです。自動的に、5000mのレースに向けて練習している時の練習量はマラソンに向けて準備している時の練習量よりも少なくなります。
では、理屈の上でそのようになったとしても、本当にそんな単純な原則が適用できるのかということですが、年間数百人のランナーさんを見させて頂いている経験から言わせて頂けますと、適用可能です。
5000m20分台の方も5000m15分台の方も原則自体は同じです。あとは個々に応じた微調整を提案させて頂きます。
私の周りにも学校の先生たくさんいらっしゃいますが、普通の公立高校を一から強くした指導者の方ってそう多くはないんですよね。選手としてニューイヤー駅伝走ったとか、日本選手権で入賞したとか、日の丸背負ったとか色々な先生方いらっしゃるんですけど、ごく普通の公立高校を強くした先生ってあんまりいないんです。
確かに、高校駅伝もセミプロ化が進んでいるので、今の洛南高校に勝つとなると学校全体の支援体制もなければ難しいので、洛南高校に勝てるとは言わないです。
ただ、指導者さえ良ければもっと強くなる学校はいっぱいあると思います。
どうも、ネックになっているのは、入ってくる生徒のレベルが低くて、やらせたい練習が出来ないことがネックになっているようです。つまり、5000mで15分台を出させたいと思ったら、1000mのインターバルを3分10秒ではやらせたい訳ですが、それすらできないから何をやって良いか分からないようです。
そうなってくると、このブログで説明したことを選手に理解させて、下から時間をかけて積み上げていけば結果はついてくるということをいかに理解させて実践させるかだと思います。
実際には、陸上競技を教える前に生徒指導から入らないといけないことも多く、なかなか陸上競技の話まではいけないとのことですし、何よりも私自身公立高校の先生をやったことがないので、どのくらい難しいかは分からないです。
そこはまあ、やったことないやつが好き勝手言ってるうちの一人になるかとは思います。
ちなみに、京都でごく普通の公立高校を近畿高校駅伝の常連校にした指導者が一人だけいて、それが綾部高校の川端先生です。川端先生は京都教育大学の大先輩なのだそうですが、私は挨拶程度でお話しさせて頂いたことはほとんどありません。ですが、ひそかに尊敬している指導者の一人です。
私の限られた情報源によると、川端先生も中強度の持久走や後半ペースを上げていく加速走や最後の1キロを全力で走るサージ、あるいはペース走の後に休息をすこし挟んで1キロを全力で走るような練習を多用するそうです。
これは高強度なトレーニングとして実施するのではなく、高強度な日は高強度な日でまた別にインターバルなどを実施します。こうすることで、0か1かのトレーニング、白か黒かのトレーニングではなく、レースペースの70%くらいから100%までの強度を継続的に満遍なく取り入れることが出来ます。
福知山マラソンに出場された方はご存知だと思いますが、新幹線で東京駅から京都駅に来るよりも京都駅から福知山駅まで行く方が遠いです。京都府は南北に長いので、北部にある綾部高校では、京都市内から選手を獲ることが実質不可能です。
そして、北部は人口が圧倒的に少ないです。もちろん、公立高校なので普通に受験に受かってくれないと取れません。そういったハンディを抱えつつ、近畿高校駅伝の常連になっているのは、凄いことだと思います。
川端先生が良かったのは、中学校の指導を経験されたのちに、高校の指導者になったことではないかと思います。中学時代も綾部中学校からは異常なくらい強い選手が育っていました。
中学生なんて、土台も何もない状態で入学してくる生徒ばかりなので、その子たちをどうやって強くするかと考えた結果、ここまでで説明させて頂いたところにたどり着いたのではないでしょうか。あくまでも推測ですが。
一方で、中学、高校、大学、実業団と比較的上の方で競技を続けてきた人っていうのは、トレーニングの仕組みを誰かに教えてもらう機会はほとんどなく、幸いにも専門的な知識や経験を持っている指導者のいうことをやっていれば強くなったというパターンが多いので、自分がやってきたことの理屈や理論まで理解しているケースはむしろ少ないです。
私も洛南高校にいましたが、京都府の上位の選手ばかりが入ってくるので、逆に3000mで10分を切れない選手の練習とかよく分からないんです。更に高校で結果を出した人が箱根駅伝常連校に行って、更にそこで結果を出した人が実業団に行くので、感覚的にはどんどんかけ離れていきます。
それで、競技をあがった後にいきなり弱い学校(と言っても普通の学校)の指導をするとなっても難しいのかもしれません。5000m17分台の選手の感覚を理解することは簡単ではないでしょう。
私がすんなり市民ランナーの方の目標達成とお悩み解決のサポートに入っていけたのは私自身が超一流選手のトレーニングから共通点を抜き出して法則化していったからです。私と一流選手のレベルはかけ離れていましたが、そこから共通点を抜き出して法則にまでしてしまえば、私にも適用できるはずです。
実際に、そうやってそこそこの結果を残してきたので、市民ランナーの方が相手でも私を指導するのと同じようにお手伝いをさせて頂けば良いのです。
ちなみに、ここまでで解説してきた内容は実は世界の長距離の進歩とほぼ同じなのです。
読者諸兄の皆様の中にも小松美冬さんが訳された『リディア―ドバイブル』を読まれた方も多いと思いますが、リディアードの選手が活躍したのは主に1960年代です。その時から800mの世界記録は大きくは変わっていませんが、10000mやマラソンの記録は大きく伸びました。
中長距離ランナーにも走り込みが有効なトレーニングであることは今も昔も変わりません。ただ、アーサー・リディアードの時代は走り込みのペースが少し遅すぎるのではないかということです。
また、期分けが極端すぎるのではないかという問題点があります。アーサー・リディアード氏の下で走り、東京オリンピックでは1500mで銅メダルを獲ったジョン・デイヴィス氏は「私は走り込み期(マラソンコンディショニングトレーニング期)においてもせめて週に一回程度は流しを入れたほうが良いと思う」と何かのインタビューで述べておられましたが、逆に考えるとリディア―ド氏は走り込み期においては週に一回の流しさえやっていなかったということです。
逆に、リディアードが愛用したレペティショントレーニングは800mや1500mの選手にとってはレースペース近辺になりますが、5000m、10000m、マラソンの選手にとってはペースがレースペースよりもはるかに速くて、休息時間が長いです。スピード持久力の養成にはちょっと微妙です。
もちろん、リディアード氏自身はそれを理解した上で、マラソンコンディショニングトレーニングとレペティショントレーニングだけでは不十分で、最後に有酸素能力と無酸素能力を融合させるためにタイムトライアルが必要だと述べています。
つまり、スピード持久力を無視している訳ではありません。ただ、もう少し細かい段階を踏まないと難しいのではないかという話です。
現在世界最高のコーチの一人であるレナト・カノーヴァ氏はリディア―ドのやり方では、練習量は充分だが、質が低いので現在では通用しない、それが証拠にリディア―ド氏の時代の800mの世界記録は今と大きく変わらない1分44秒であるのに対し、10000mの当時の世界記録28分15秒は今では全く通用しないと述べています。
これに対して、リディア―ドファンデーションの橋爪伸也さんはリディア―ドの選手たちも速いペースで走り込みをしていたと反論し、最終的にコーチカノーヴァも納得したと著書に書いておられますが、本当でしょうか?
残っている記録によると、リディア―ドが指導していた代表的な選手で1964年の方の東京オリンピックでは800mと1500mで二冠を達成したピーター・スネル選手の22マイル走(約35.3キロ)の最高タイムは2時間11分です。これは1キロ換算3分42秒ペースです。
そして、東京オリンピック前3か月間のトレーニングを見ると、最も速い時で2時間22分です。ほぼ1キロ4分ペースです。それよりも遅い時は2時間33分くらいの時もあります。
一方で、コーチカノーヴァの指導していたサイード・サイフ・シャヒーン(元スティーブン・チェロノ)選手は5000mと3000m障害のワールドカップ(ともに入賞)の9日前に28キロを1キロ3分08秒ペースでやっていたり、3000m障害で7分56秒をマークする7日前に35キロ走を1キロ平均3分11秒ペースでやったりしています。
ちなみに、この35キロ走は標高2300mの土の起伏のあるコースで実施しているので、海水準面の平坦なアスファルトなら3分5秒は切るペースです。
こういった事実を比べてみると、とてもじゃないですが、コーチカノーヴァが橋爪さんの話に納得したとは思えません。
また、コーチカノーヴァが指導していたサイラス・キプラガトという800m(1分44秒)の選手が「もっとスピードに重点を置いた練習がしたい」という理由でコーチカノーヴァの下を去ったのですが、コーチカノーヴァのトレーニングをしていたときには10000m28分ちょうどで走れていたのに、30分さえ切れなくなりました。
そして、800mも遅くなっていったそうです。
私は京都教育大学にいたのですが、関西には「駅伝をやりたくない。1500mを極めたい」という理由で関西に残った選手が一定の割合で毎年いたのですが、確かに1500mで関東の選手に勝つことは稀でした。1500mも関東の方がレベルは圧倒的に高いです。
三浦龍司君もハーフマラソンや駅伝で結果を出して、3000m障害も1500mも速くなっています。そういうことではないでしょうか?
ちなみに私は逆パターンで、高校時代1500mには全く興味がありませんでしたし、1500mの為の練習なんかしたことがありませんでしたが、気づいたら3分58秒まで伸びていました。5000mでも駅伝でも一定程度スピードは必要ですから、スピード練習もします。
結果的に、ある程度は1500mを速く走れるスピード持久力がついていたのでしょう。
そんな訳で、市民ランナーの方にも心に留めておいていただきたいのは、先ず第一に「質より量」とか「量より質」とか割り切って言い切れる人のいうことは聞かなくて良いということです。そんな単純に割り切れる訳ではなく、自分のゴールから逆算してそれに必要なスピード持久力=質と量を段階的に養成する必要があります。
第二に、5000mを速く走るなら1000m5本さえやっていれば良いとかマラソンで3時間を切るなら30キロを1キロ4分15秒ペースでやれば良いとか言いきっている人のいうことは聞かなくても良いということです。
問題はそのレベルに到達するために、どうやって骨組みを組み立てていくかにあります。
逆の立場で考えてみれば分かります。もしも私が「5000mで14分台を出したければ、1000m5本を200mのジョギングでつないで全部2分台でやれば良い」と言ったら、その人は納得するのでしょうか?
なかなかの暴論だと思いますし、それでは誰も私についてきません。やれるもんなら、初めからやっているでしょう。これは土台から築き上げる方法論があってこその話なのです。
ちなみに、私は高校時代1キロ4分前後のペースで長い距離ばかり走っていました。それより遅いペースの持久走も多々ありました。弱くもなかったですが、強くもなれませんでした。このブログに書いた内容を当時の自分が理解していればなと今更ながらに思います。
でも、恩師の中島道雄先生は「なんでも経験だ」とおっしゃると思います。色々な経験をして、今私の頭にデータが蓄積されている訳ですし、そのデータを今後の競技人生に活かしていきたいと思います。
皆様の参考にもなりますと幸いです。
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