top of page
執筆者の写真池上秀志

土門広という男がいる

 さて、今回は〇〇という男(女)がいるシリーズです。今回取り上げるのはセブスポーツ社長の土門広さんです。


「んっ、何で会社の社長さんなんだ?」と思われた方も多いと思いますが、何を隠そう土門さんの陸上界の貢献は実は大きいのです。ご記憶に残っている方も多いと思いますが、2012年の東京マラソンでは無職の藤原新さんがあの皇帝ゲブレゼラシエを終盤に交わし、さらにラスト400mではリオデジャネイロ五輪金メダリストのスティーブン・キブロティチをなぎ倒して2番に入りました。



 当時私は高校3年生だったのですが、藤原新さんのかっこよさはダントツでした。JR東日本を退社してレモシステムと契約して、プロに転向、その後レモシステムからスポンサー料の不払いがあり、収入がなかったのですが、それで信念の折れる藤原さんではありませんでした。そこからも練習を続けてオリンピックの切符を獲得し、一夜にして億万長者となりました。事実は小説よりも奇なりというのを絵に描いたようなサクセスストーリーに度肝を抜かれました。


 その東京マラソンでは16km地点でウインクをする藤原さんの動画がまだユーチューブで確認できますが、まさに不敵の笑みという印象です。黒いユニフォームに身を包み、無精髭を生やして、不敵な笑みを浮かべてレースに臨むその姿は、まさに黒の帝王そのもの。BMWに乗り、ブランド品を着こなして、数百万円するようなスピーカーを買い揃えるところも従来の陸上選手のイメージとはかけ離れていました。


 そうでありながらも、ケニアに渡りバスタブがなくても、服を何日も洗濯しなくても大丈うというハングリーな部分も持ち合わせていました。むしろ現地の人よりも洗濯しなくても大丈夫な人です笑なんかそんな何でもありな藤原さんのイメージは孤高の人そのものです。



 そんな孤高な人のイメージの藤原さんですが、完全に一人だったわけではありません。その藤原さんを自転車でペースを作って支えたのがセブスポーツ社長の土門さんです。セブスポーツの社是?というのかどうかはわかりませんが、スローガンは「アスリートを全力でサポートする」です。口で言うのは易しいですが、実際には簡単ではありません。この際なのではっきりと書いておきますが、どのような崇高な考えや素晴らしい商品もお金があるから多くの人にあまねく行き渡るのです。キリスト教やイスラム教も立派な教会やモスクがあるから、昔のように字の読めない人がたくさんいた時代でも栄えることができたのです。ごく一部の知識階級にはボロボロの着物を着ていても、崇高な教えを話せば理解できたかもしれません。でも文字も読めない一般庶民に、難しいこと言っても分かりません。それよりも立派な教会に連れて言って、みんなでアーメンと言ってる方が何となく救われるような気持ちがします。だから栄えたんです。


 これは現代社会でも同じです。マクドナルドが栄えたのはハッピーセットのテレビCMのおかげであり、レッドブルが売れているのは「翼をさずける」のテレビCMを打てるから栄えたのです。私のウェルビーイング株式会社は現段階では、一流選手に謝礼として10万円とか払える額のお金を払いながら、知識提供をしてもらったり、必要な動画機材を買いそろえたり、編集ソフトを買い揃えたり、外注したり、広告宣伝費に回したりして、少しずつ日本一の学び場のグレードアップを図っているところです。ちなみに始めた時はスマホも持っていませんでした。ビデオカメラもありません。私がブログから始めたのは文章を書くのが大好きだからというのもありますが、それしかなかったというのも大きな理由でした。


 何でわざわざこんなこと書いたかというと、普通は「アスリートを全力でサポートする」と書いていても後ろにはカッコがついて(ただしその対価はちゃんと払ってよね)というのが当たり前だからです。まあでも、これは当たり前のことですよね。ティッシュ一箱でもチロルチョコ一個でも金払わずに持って行ったらこれは泥棒です。まして、土門さんの自転車引っ張りの技術は天下一品です。


 ところが、これを本当に手弁当でやるのが土門さんです。陸上界広しといえども本当に手弁当で選手育てて日本代表にしたのは土門さんと中村清先生だけですよ。このことは強調しすぎても強調しすぎることはありません。本当の本当に「アスリートを全力でサポート」しているのが土門さんです。



 もう一つ土門さんが選手をサポートできるのは、土門さんの人柄にあります。はっきりと書いておきますが、自分に甘い選手は土門さんのところでは伸びません。なぜかというと、土門さんは選手は自立した存在という前提で接してくださるからです。やっぱり自分に甘い人は管理の厳しいところに行った方が伸びます。選手の考えに対してああだこうだとおっしゃることはありません。でも、どれだけ自立した選手でもいつも順風満帆ということはありません。短期的にも長期的にもそうです。ちなみにマラソンランナーにとっての短期とは3ヶ月程度のスパンです。要するに、一本のマラソンに向けて準備をする期間です。


 一本のマラソンに準備をするにしても、走れる日もあれば、走れない日もあります。これは藤原新さんも例外ではありません。そして、ストイックな人ほど完璧にやろうとするので、できなかった時のストレスもまた大きいものです。頭では1日くらいと思っていても、もう一人の自分が少しの差が積み重なって大きな差になるんだと叱咤します。そんな時に土門さんが「大丈夫だよ。大丈夫、大丈夫」と声をかけてくださります。この一言があるかないかは意外と大きいものです。


 この辺りは本当に難しい問題で、走れたにしろ走れなかったにしろ、自分がきちんと準備して取り組んだ結果なのであれば、もう済んだこととして処理していくしかありません。だからと言って、本当に気楽な立場にいる人とか陸上競技のことが分からない人から「切り替えが大事」と言われても説得力がないんです。むしろ、「何も分からないくせに口出しするな」という気持ちになることもあります。あるいは何も考えずに大丈夫、大丈夫で、話を終わらせていたら、本当にダメになります。修正すべきところは修正しないといけないのです。


 こんな時にいつも練習を見てくれている人からの「大丈夫」という声かけは本当に大きいです。当然、この「大丈夫」という言葉には色々な意味が詰まっているということは選手も分かる訳です。何の根拠もない「大丈夫」じゃないからこその安心感です。選手にはこの「大丈夫」という背中押しが意外にも大きいです。最終的には自分で自分を洗脳して大丈夫だと言い聞かせてスタートラインに立つしかありません。でも、何でもかんでも大丈夫で済ませていい訳ではありません。むしろ、大丈夫で済ませてはいけないことの方が大きいでしょう。細かいことを積み重ねられる人しか結果は残せないのですから。でも、やっぱり人間のやることだから、「完璧」にはならない。最後は、「大丈夫かなぁ」という気持ちを潔くジャンプして「俺は最強だ」と思える自分を作るしかありません。その背中押しが上手かったのが土門さんです。



 私が初めて土門さんにお会いしたのは19歳の夏です。その年の暮れにアラタプロジェクトという世界最強のクラブチームを作るということで立ち上げたクラブチームの第一回の選考会がありました。平日の夜7時、何日かまでは忘れましたが、クリスマスのあたりです。雨が降っていてとても寒い中で神宮外苑の集会で7周のタイムトライアルをしました。寒くて暗くてそんな中でのタイムトライアルでしたが、夢があってその日のことは今でも鮮明に覚えています。KKスポーツの川内こうきさんと初めてお会いしたのもその場所でした。藤原新さんにもそこで初めて挨拶をしました。


「おう、お前が池上か。京都産業大学だっけ?」


「いえ、京都教育大学です。宜しくお願い致します」と一言挨拶を交わしただけでした。ちなみに次お会いした時もやっぱり「おう、京都産業大学だっけ」「いえ、京都教育大学です」のやり取りから始まりました笑


 年も明けて、無事にアラタプロジェクトのセレクションに合格して晴れてアラタプロジェクトの一員になったのですが、その時の監督さんが土門広さんです。ちなみにその時の部長さんが今もよく川内こうきさんとお仕事をされている橋本健太郎さんで、経理担当が曽根裕司さん、このお三方は私にとっては人生の恩人であります。


 その次の春休みに私は土門さん宅に泊めてもらい何日か合宿をしたのですが、その時にその場所をすっかりと気に入り、今は土門さんのお宅から2kmくらいしか離れていないところに住んでいます。故郷の京都府亀岡市は冬は霧が深く、年間を通して湿気が高く降雨量もそれなりに多いのですが(と言っても生まれてからずっとそれが普通だったのですが)、今住んでいるところは年間を通して空気が乾燥していて晴れの日が多いです。冬も寒いといえば寒いのですが、あまり汗をかかないのでそれほど寒くないです。


 ちなみに私の家の半径500mくらいにGMOの選手の家が点在しているのですが、これも土門さんが東松山は練習に良いですよと花田勝彦さんに進言したからです。


 話が色々なところに行きましたが、土門さんはその後もマラソンの下門美晴さんやサイラス・ジュイさんなど色々な人をサポートしています。土門さんを見ていて私がいつも思うのは、人生一回きりなんだから、魅力を感じたらとにかくやってみた方が良いということです。先に書いておけば良かったのですが、土門さんは元々スキーをされていた方です。陸上競技は素人なのです。でも、藤原さんがオリンピックに出たいというから一緒にうなぎを食べて話をして、じゃあやろうということでやった人です。土門さんも陸上のことは分からないとはいえ、人を見る目はある方なので何か感じるものがあったからやったのでしょう。


 でも、普通はいきなり現れた人が「オリンピック出たいです」と言っても普通は頭でああだこうだと考えてしまいます。でもそれを考えずになんか面白そうだと思ったからやったのが土門さんです。結果的にやってみてやっぱり面白かったのではないでしょうか?人生やっぱり、これをやろうと思ったらやらないと損をします。


最後にセブスポーツ本社移転とサテライトオフィス開設のお知らせです。セブスポーツは機能性ネックレスや筋肉に貼るとコリや痛みが取れるパッチを販売しています。



■本社移転とサテライトオフィス開設のお知らせ■


新型コロナウイルスCOVID-19の感染拡大に際し、罹患された皆様や日常生活に大きな影響を受けられている皆様に心よりお見舞い申し上げます。


セブスポーツは様々な環境変化に対応する取り組みの必要性とスタッフ、関係者の感染予防対策を勘案しテレワークの一つであるサテライトオフィスの勤務体系に移行します。


正式には2021年2月1日より本社移転と味の素ナショナルトレーニングセンター(NTC)に程近い場所に営業本部を開設します。


コロナ感染の収束感が一向に見えない中、世界を目指すアスリート達は東京オリンピック出場に向けNTCなどで厳しい練習を積み重ねています。


そのアスリート達の中に弊社商品を愛用している方々も多数います。


弊社は全力でアスリートを応援していきたいと思い、少しでもアスリートに寄り添う為にもNTCの近くにオフィスを構えました。


NTCオフィスは都営三田線、本蓮沼駅から徒歩5分の場所に開設、本社は現在の千代田区西神田から千代田区九段南に移転します。


双方にオフィスを構え様々な環境変化に対応し、感染防止も同時に実施していきたいと思います。


スタッフ一同、これを機により一層のサービスにつとめる所存でございます。


どうぞご理解賜りますよう宜しくお願い申し上げます。


尚、詳細につきましては今月中旬以降、NTCオフィスの電話番号が決まり次第、再度ご案内します。


ご不明な点は下記までお問い合わせ下さい。

↓↓

閲覧数:485回0件のコメント

Kommentare


筆者紹介

​ウェルビーイング株式会社代表取締役

池上秀志

経歴

中学 京都府亀岡市立亀岡中学校

都道府県対抗男子駅伝6区区間賞 自己ベスト3km 8分51秒

 

高校 洛南高校

京都府駅伝3年連続区間賞 チームも優勝

全国高校駅伝3年連続出場 19位 11位 18位

 

大学 京都教育大学

京都インカレ10000m優勝

関西インカレ10000m優勝 ハーフマラソン優勝

西日本インカレ 5000m 2位 10000m 2位

京都選手権 10000m優勝

近畿選手権 10000m優勝

谷川真理ハーフマラソン優勝

グアムハーフマラソン優勝

上尾ハーフマラソン一般の部優勝

 

大学卒業後

実業団4社からの誘いを断り、ドイツ人コーチDieter Hogenの下でトレーニングを続ける。所属は1990年にCoach Hogen、イギリス人マネージャーのキム・マクドナルドらで立ち上げたKimbia Athletics。

 

大阪ロードレース優勝

ハイテクハーフマラソン二連覇

ももクロマニアハーフマラソン2位

グアムマラソン優勝

大阪マラソン2位

 

自己ベスト

ハーフマラソン 63分09秒

30km 1時間31分53秒

マラソン 2時間13分41秒

bottom of page