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執筆者の写真池上秀志

日体大長距離記録会2023年4月23日

こんにちは、池上です!


 実は昨日日体大記録会に出場してきました。日体大記録会に出るなら言ってくれれば良いのにと言って下さる方がいらっしゃるだろうなと思いつつ、まだ無観客試合となっているので、事前に皆様にご連絡していませんでした。すみません。


 さて、今回レースに出場した意図としては一発目の特異的持久練習として刺激をかけるとともに現状を確認する為でした。大阪マラソン後は二週間休養を取って、そのあと少しずつ体づくり、基礎構築期をして、速いペースのセット練習やインターバルをいれて、ハーフマラソンのレースペースより少し遅いくらいの10-12キロのテンポ走を入れたり、ハーフマラソンのレースペースくらいの5キロ2本を入れたりして、5000mのレースで結果を出すための練習をこなすための練習をしていました。


 本当は4月22日土曜日の京都府陸上競技協会の記録会に出場する予定で、なんとなくこの辺りを境により特異的な練習に移行して行こうかなと思っていました。とりあえず、ここで1キロ3分ペースを切って5000mが走り切れていればなんとなくこれ以降の練習の感覚がつかめるかなと思っていました。


 ただ、誤算だったのは仕事ばかりしていたら申し込み締め切り日が過ぎていたことです。申し込もうと思った時は、まだ申し込みを受け付けていなかったので待っていたのですが、そこから光陰矢の如しで気づいたら締め切りすんでました。そこでまだ申し込み締め切り日に余裕のあった日体大記録会に出場することにしました。


 本当にスピード練習とハーフマラソンのレースペースくらいの練習しかしていなかったので、どのくらいで走れるのかイメージが掴めるような練習はしていなかったので、4日前刺激で3000m1本を時計を見ずに5000mのレースをイメージして行ったところ、9分2秒だったので、まあまあレースになれば同じ感覚で走っても1キロ3分は少し切るかなとは思っていました。


 ただ、出るからには起業後トラック5000mベストの14分53秒切りをしたかったですし、100点の走りが出来たら14分45秒かなとは思っていました。


 また、もう一つのテーマとしては大阪マラソンが終わった後、より蹴らない走りを身につけることをテーマに取り組んでいます。その方法論の一つとして、単純に一歩が小さくなれば地面をあまり蹴らなくて済むわけですから、ピッチを速くするということに取り組んでいました。


 今回のレースでもレース全体を通じて、1分間に約210歩のピッチを刻むことをテーマにしていました。


 私の読みでは先頭が1000mを2分50秒くらいで通過して、そのあと落ち着いて3000mを8分36秒くらいで通過し、1400mくらいから第一集団、第二集団分かれて第二集団が3000mを8分50秒から45秒くらいで通過するから、第二集団の後ろにつけて、イメージとしては3000mまでは脚を使わずにノーダメージでいき、そこから集団のペースが一度落ち着くのでラスト1000mは練習通り2分50秒であがるというイメージを持っていました。


 結果としては、先頭がだいたい1000mを2分50秒で通過するという読みはほぼあたっていました。出場人数44人で、スタートは内から28人がスタート、腰ナンバー29番以降は外側からスタートという方式が取られました。


 トラックレースに出場したことがない方は分かりづらいと思いますが、5000mや10000mのレースにおいては、初めの100mは混雑を避けるために2つに分けて内と外でスタートし、外からスタートする人はやや前からスタートして100m通過後、直線に入ったところで、内側スタート組と合流するのです。


 こうなってくると問題になるのが位置取りです。皆が内側に入りたいに決まっています。しかし、集団の真ん中から前方あたりも人気の位置です。当然一番避けるべきは先頭と外側に位置してしまうことです。先頭に立つと内側は確実に取れますが、スタート直後に飛ばす必要がありますし、まともに風を受けることにもなります。


 そして、外側に位置してしまう一番大きな理由は前の方に位置取りしようとすることです。前の方の内側が人気の位置で運よくそこには入れれば良いのですが、そこは人気の位置なのでそこに人は殺到し、外に位置取りしてしまうリスクも高いですし、一度外に位置取りした選手も隙をみて内側に入りたいので出入りが激しく体力を消耗しやすいです。


 本当にレベルが高いレースで勝ちたければそういうのも経験しておく必要があるのかもしれませんが、私は基本的に無用なリスクは避けたい派です。


 今回私の腰ナンバーカードは27番なので、内側の一番外側でした。8レーンに28人も並べたら外側の方は混雑必至です。これも避けるために、スタート直前にススッと2列目に移動して一番内側に入りました。こういうのは勝手に内側に入ったら怒られますが、勝手に二列目にいっても誰も文句を言いません。これのお陰で最後尾にはなりましたが、レースの大半を内側で走ることが出来ました。


 とは言え、レースは生き物なので、前の選手が落ちてきたら前に出る必要がありますし、その時に外側に出る必要もあります。そこは柔軟に対応しながら、最後尾から少しずつ前の選手を拾っていきました。


 今日は風速約4mの風が吹いており、最後尾に位置することで集団が人の壁となり風を受けないので、それも有利に働きました。ただ、自分が走っていると人のレースを観るようには冷静に見れていません。基本的には自分の真ん前をみていないと接触のリスクがあるのと視線を1点に定めることで体幹も安定しやすいので前の選手をじっと見つめています。


 そうすると集団の前の方で動きがあると対応が遅れます。そういったリスクは承知の上で、自分の読みに従って後方から拾っていくことにしました。


 読みが外れたのは第一集団と第二集団に分かれなかったことです。私自身のラップタイムは2分55秒、2分57秒、3分ちょうどで3000mを8分53秒で通過、先頭は8分48秒くらいで通過したはずです。ほぼ読み通りで、私自身ここまで脚を使わずにリラックスして集団後方につけられていました。


 誤算だったのは2000mから3000mで少し位置取りが外にいってしまったことです。これは前の選手が遅れてきたときにスムーズに前に出ないといけなかったので仕方なかったのです。2レーンまで出されたら思い切って位置取りを前に変えようとも思っていましたが、風も強く基本的に集団が2列になっていたので、私も外側に位置取りを変えました。


 3000m通過後は脚は使わずにこれていましたが、呼吸は割と苦しく、そのまま集団の後方に留まることにしました。3000mから先頭に出ても良かったかなと思わなくはないですが、あまり余裕がなかったのと、出来れば脚を使わずに4000mまで行って4000mから用意ドン!でいければ理想でした。


 3000mから4000mはペースが落ちている感覚はなかったのですが、あとから測ると3分03秒まで落ちていました。やっぱり、私もきつかったのでしょう。4000mからは思い切って勝負をかけて2分50秒であがれればと思っていたのですが、余裕がなくペースを上げることが出来ませんでした。


 ラスト1000mを3分ちょうどに戻すのが精いっぱいで、14分56秒19でゴールしました。


 ラスト1000mを予定通り2分50秒で走れていれば14分46秒、レース前に思い描いていた14分45秒で走れれば100点という感覚に一致するので、やはりそこだけですね。まあ、そこが大きいんですけど。これはスピードがなかったというよりは単純に4000m通過時点で余裕が持てていませんでした。


 結局ラスト400mでもペースを上げられていないので、冷静に判断してなるべく力を使わずに後ろから拾っていけて良かったかなという気もしつつ、でも3000mを過ぎたらどこかのタイミングで最後持たなくても良いから前に出るだけの気持ちも欲しかったかなとも思います。


 この辺りは難しいですね。冷静な判断という意味で言えば、今日のレースは冷静に判断したと思います。ラスト2000mが3分03秒と3分ちょうどなので、こんなもんかなと。不必要に前に出なかったという意味でも我慢したし、苦しいところから最後はもう一度上げているという意味でも我慢は出来ているのかもしれません。


 でも、せっかく東京まできているのであれば(神奈川だけれど)、最後全然ダメでも良いから一度前に出て、リズムを作り直して、気持ちも攻めの気持ちを作っても良かったのかなとも思います。


 練習では1分間に215ビートを刻むWhiplash(セッションという映画で有名な曲です)、もしくは1分間に210のリズムを刻むB’zのMaydayもしくは1分間に105のリズムを刻むB’zの一心不乱という曲でリズムを取っていました。1分間に105のリズムのビートではありますが、歌詞的には音節が210のリズムを取っています。


一心不乱に何かしてみたい 誰でもそう 


 という歌詞があれば、その音節が一分間に210のリズムになっています。


音楽無しでレースペースで走るのは大阪マラソン後、今回が初めてなので、体がそのリズムを覚えているのかどうかというのもあったのですが、レースを通してほぼ1分間に210のリズムを刻んでおり、最後も力まずにピッチでスパートをかけようとしているので(かかってはいないけれど)、コーチとして今日の自分を観るならばやりたかったことは一通り出来たのではないかというレースでした。


 今日の5000mのレースペース自体は全く速く感じず、これも練習でスピード練習をやっていたことがきっちり出ていますし、逆にスピード持久系の練習は全くやっていないのでペースは遅く感じたけれど単純にそのペースを最後まで維持できなかったというスピード持久の不足(代謝系、呼吸循環器系の不十分さ)が露呈しました。


 そういった面も含めて、この日を境にスピード持久系の練習を増やしていく予定だったので、ほぼ想定の範囲内だと思います。もうちょっと気持ちを前面に出して走って欲しかったなという気がしなくもないですけど、その分変なリスクも取らずに冷静に走れているので、この辺りもプラスマイナスで考えたら、なかなかダメとは言えない部分です。


 いずれにしても、一番大切なのは何事もプラスに捉えて次につなげていくことだと思います。出来ているところはそれで良いし、出来ていないところは改善の余地があるし、今自分に何が出来ていて、何が出来ていなくて、出来ていないところを補うにはどういう練習計画を立てれば良いのか、そういうことを理解しながら取り組んでいくことが一番大切だと思いますし、私の中ではもう計画もある程度は立っているので、それを着々と黙ってこなしていきたいと思います。


 これからもお互い頑張っていきましょう!


レースの動画はこちらから↓↓基本的に終始先頭集団の一番後ろを走っている赤いランシャツのナンバーカード27番が私です。



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筆者紹介

​ウェルビーイング株式会社代表取締役

池上秀志

経歴

中学 京都府亀岡市立亀岡中学校

都道府県対抗男子駅伝6区区間賞 自己ベスト3km 8分51秒

 

高校 洛南高校

京都府駅伝3年連続区間賞 チームも優勝

全国高校駅伝3年連続出場 19位 11位 18位

 

大学 京都教育大学

京都インカレ10000m優勝

関西インカレ10000m優勝 ハーフマラソン優勝

西日本インカレ 5000m 2位 10000m 2位

京都選手権 10000m優勝

近畿選手権 10000m優勝

谷川真理ハーフマラソン優勝

グアムハーフマラソン優勝

上尾ハーフマラソン一般の部優勝

 

大学卒業後

実業団4社からの誘いを断り、ドイツ人コーチDieter Hogenの下でトレーニングを続ける。所属は1990年にCoach Hogen、イギリス人マネージャーのキム・マクドナルドらで立ち上げたKimbia Athletics。

 

大阪ロードレース優勝

ハイテクハーフマラソン二連覇

ももクロマニアハーフマラソン2位

グアムマラソン優勝

大阪マラソン2位

 

自己ベスト

ハーフマラソン 63分09秒

30km 1時間31分53秒

マラソン 2時間13分41秒

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