こんにちは、ウェルビーイング池上です。
今回は昔の選手は質より量だったのかというテーマのブログ記事です。最近は昔の選手は質より量で、最近の選手は量より質のトレーニングになって、タイムが上がってきたということが言われますが、本当にそうでしょうか?確かにそういったイメージがあるのは事実ですが、本当にそうだったのか、詳細に見ていきたいと思います。
まず、第一に私の印象から書かせて頂きますと、実際にどうであったかということよりもマスメディアの姿勢が大きく影響しているような気もしています。というのは、私が高校生の頃は、マラソン選手に関するインタビュー記事などに40km走を何本やったかとか、月間何km走ったかといったような記事が多かったんです。そうすると、その話だけが一人歩きしてしまい、読み手はそこがメインのような印象を受けてしまうのです。
私自身はハーフマラソンでそれまでの自己ベストを2分半近く更新し、63分9秒を出した年は、夏場には月間1200kmを走り込み、40km走こそあんまりやった記憶がありませんが、週に一回は20マイル走を取り入れていました。レースの一週間前にも20マイル走をしていたと思います。そこだけを取り上げて、ここに書いてみると、練習量をとにかく増やしたから、タイムが伸びたという印象を受けるかもしれません。しかしながら、月間走行距離1200kmも、週に一回の20マイル走もメインのトレーニングではありませんでした。当時のメインのトレーニングは1200m8本を400mつなぎでやるトレーニング、400m10本を400mつなぎでやるトレーニング、3000m4本を400mつなぎでやるようなトレーニング、12000mを速いペースで押していくトレーニング、そしてトラックレースでした。週に一回の20マイル走では質は求めずに、3:45/kくらいのゆっくりとしたペースで、将来マラソンをやるための脚作り、気分転換、有酸素能力の向上などを目的としたトレーニングでした。
私がここで言いたいのは、私のトレーニングの話ではなく、このように様々なトレーニングに取り組み、本人は違うところに重点を置いていたとしても、マスメディアが取り上げると、そこだけが人々の印象に残ってしまうということです。実は昔の選手は質より量で、今の選手は量より質で速くなっているというのは、そういった一種のステレオタイプではないかと思います。
宗茂のマラソントレーニング
論より証拠ということで、宗茂さん著書の『マラソンの心』と瀬古利彦さん著書の『マラソンの真髄』からいくつか引用してみましょう。そこには多くの人のイメージとは違うことが書いてあります。
「私たちがマラソンを始めた1970年代は、今で言う『マラソン練習』について理解している人はいなかったと思います。
君原健二さんあたりのクラスであれば、自分なりの練習法を持っていたとは思いますが、陸上界のほとんどの選手や指導者はマラソンを分かっていなかった。
マラソン独自の練習法を考案するという発想がありませんでした。せいぜい30キロ程度をこなすくらいで、40キロを走るのはぶっつけ本番の試合だけ、それが当たり前の時代です。
ですから、練習で40キロを走るという発想がない。今ならマラソンを走るには40~50キロといった長距離走に取り組まなくてはいけないというのは常識です。
ところが当時は、40キロ走は常識外れのハードな練習だと見なされていました。もちろん、取り組み方についてのノウハウも全くなかった。ですから、マラソンに対しては、誰もが距離に対する不安を持っていました。練習で走ってもいない40キロという距離をいきなり走るのですから。(宗茂著『マラソンの心』P50)」
どうでしょうか?実は宗茂さんがマラソンを始めた頃は、まだ40キロ走を行うという発想がなく、30キロ走ですら、一回程度です。今は箱根駅伝を目指す学生でも、もっと走ります。これはほとんどの人のイメージに反するのではないでしょうか?更に言えば、今は高校野球の投手の球数制限を筆頭に、体を酷使すると選手寿命を短くすると言われていますが、これも程度問題だと思います。以下同書からの引用です。
「当時はマラソンを走ると選手寿命を縮めると言われていました。実際、選手寿命も短かった。18歳くらいで企業の陸上部に入り、28歳くらいで引退というのが普通です。ほぼ9割の選手がこのパターンでした。マラソンを走ると選手寿命を縮める。これは事実でした。
事実でしたが、それはマラソンを知らなかった、あるいは『マラソン練習』を知らなかったことが原因です。
今考えると、28歳ぐらいからが一番面白いのです。心身ともに充実し、これから結果が残せる年齢だからです。ところが、当時は皆28歳ぐらいで引退していた。では、なぜそうなってしまうのか。
まず、抵抗力がありませんでした。マラソンを走るだけの肉体的な抵抗力がなかった。
42.195キロを走るという肉体的負担に体が耐えられなかったということです。(宗茂著『マラソンの心』P51)」
これは私の実感とも一致してます。確かに月間1000キロを超えてくると、どうしてもジャンクマイレージが増えてしまい、トレーニング効果がそんなにないにも関わらず、疲労の回復が妨げられてしまう感じがします。ですが、練習量が少なければ少ないで、逆に疲れてしまうんです。理屈と合わないじゃないかと思われるかもしれませんが、それは事実なんです。もう一つ言えば、故障のリスクも増えてしまいます。ある程度は走り込んだ方が、疲れません。体が練習に抵抗する抵抗力がついてくるんです。例えばですが、5000mを14分で走る選手にとっては40kmを3:15/kで走ることは、本来それほど大変なことではないはずです。でも、例えば高校生で5000mを14分で走る選手に40キロをそのペースでやらせれば、潰れてしまうでしょう。マラソンに出るどころではありません。そこで疲れ切ってしまって、良い練習ができません。それは何故か?40キロという距離に対して、抵抗力がないからです。
私の高校時代の恩師や現在のコーチディーター・ホーゲンも私からすれば、40キロという距離に対して、過大な抵抗を持っているような気がします。40キロという距離そのものが、体に大きな負荷をかける、そんなことをするとスピード練習ができなくなると言われますが、私の経験から言って、そんなことはありません。人生で一番良いショートインターバルができたのは、週に一回40キロ走をやっていた時です。確かに私はスピードがない方ではありますが、それでも400m20本を200mつなぎで、平均66秒でいっていますから、マラソンをやるには充分な質だと思います。それで疲れきってしまわないなら、別に問題ないと思います。
40キロ走をバンバンやらせることには反対の指導者でも、一回くらいは速いペースで40キロ走を入れます。ただ、私は両方試してみた結論として、いきなり速いペースで40キロ走をやるよりも、初めは比較的ゆっくりのペースで40キロ走を入れた方が、そのあと速いペースで40キロ走をやっても疲労が残りにくいんです。疲労が残らなければ、次のスピード練習にもスムーズに入っていけますから、全体として練習の質が上がります。そうすると、やはりある程度距離を走った方が、練習の質が上がるということになります。
因みにですが、いくらゆっくりといっても4:00/kだとやっぱり遅すぎます。ジャンクマイレージになってしまうんです。でも、脚作りの段階で3:20/kで40キロ走をやれば(少なくとも私の場合は)、疲労が残って二日後のインターバルに悪影響が出てしまいます。でも、レース前にやるメインの40km走では、3:20/kくらいでやっても、次のインターバルに影響はありません。このあたりの微妙なさじ加減が求められるとは思います。ただ、一概に40km走をやれば疲れてしまう、練習の質が落ちるというのは間違いだと思います。
さて、そのあとさらに『マラソンの心』を読み進めていくと、宗茂さんが生涯ベストを出したレースでも40km走をやっていなかったことが分かります。宗茂さんの生涯ベストは1978年の別府大分マラソンの2時間9分5秒です。日本人初のサブテンで、当時世界歴代二位の記録でした。ところが、その二ヶ月前の福岡国際マラソンで2時間37分45秒という大失速レースを経験されています。そのレースでは、30キロ以降フラフラになっており、最後の12キロはジョギングのようになってしまったらしいです。このレースの後、二ヶ月後の別府大分マラソンでリベンジを果たすことを決意した宗さんですが、そこに向けての練習ではそれまでの常識を捨てて30キロ走を三本、それもそれまでの3:30/kといったペースではなく、一本は3:08/k、最後の一本は3:05/kでされています。その2本目の30キロ走の後には終わってそのまま60分ジョグをされています。30キロまで速いペースで走って、そのあとゆっくりとマラソンを完走しています。後半大失速した福岡国際に近いものがあります。これを意識的に前半抑えて、40キロまで安定したペースで走りきれば良い練習になるのではないかと宗さんは仮説を立てたわけです。
更には、この別府大分マラソンに向けての準備期間は二ヶ月ほどでしたが、これでは少し詰め込みすぎの感があったので、もう少し期間を長くして試行錯誤を繰り返した結果、三ヶ月のマラソン練習に、40km走を8-12本というところに落ち着いたそうです。
確かに完成した後のマラソントレーニングを見てみると、三ヶ月で10本前後の40キロ走は多いです。現代ではトップランナーでこの本数をこなしている選手はあまりいないでしょうし、いたとしても、この40キロ全てが練習というよりは、先述した理由で半分くらいは練習のための練習です。この40キロ走がレースに直結するというよりは、体の抵抗力を強くするための練習と思った方が良いでしょう。ところが、結果的にはマスメディアによって、ここが重点的にクローズアップされたというのが本当のところではないでしょうか?マラソントレーニング誕生秘話を紐解いていくと、とにかく距離を踏めば良いとは一言も言われておらず、むしろそれまで練習が少なすぎたから、ちょっとずつ増やしていった結果、だいたいこんなものかなというところにいったということです。
実際、宗さんも40キロをとにかく詰め込めば良いとは一切書いていません。
「力がついてきたら、40キロの回数を増やすなどで走行距離を増やすより、ペース設定を上げた方がいい。
40キロペース走に関しては、量を追うよりは、質を上げた方が効果的だということです。」(宗茂著『マラソンの心』P86)
そして、宗さんが作り上げたマラソントレーニングを参考にしながら、マラソンに取り組んだのが瀬古利彦さんです。瀬古さんも40キロ走をやればやるほど、良いとは一切書いておられません。宗さんに関しては「40キロの回数を増やすなどで走行距離を増やすより、ペース設定を上げた方がいい」程度の表現ですが、瀬古さんはもっと極端で「勝つための練習はTTありきだ」と書いておられます。TTというのはタイムトライアルの略で、40キロを全力で走るのが、瀬古さんのメインのトレーニングです。この発想はどこから来たかというと、瀬古さんの恩師の中村清さんがニュージーランドの名コーチ、アーサー・リディアードから学んだ練習方法から来ています。中村清先生は弱体化した早稲田大学競争部の再建に取り組み、箱根駅伝で優勝するところまで導いておられますが、その際のトレーニングも20キロのTTがメインであったそうです。
瀬古利彦のマラソントレーニング
ただし、瀬古さんの場合もいきなり40キロのTTをバンバンやるわけではありません。瀬古さんの言葉をお借りすると力を出し切る練習と力をためる練習の二種類があるとこのことです。以下『マラソンの真髄』から引用です。
「ポイント練習はいくつかに分類される。もの凄く大きく考えると、「力を出し切る練習」と、出し切るための「力をためる練習」の二つに分けることができる。
ビルに例えるとしよう。
大きなビルを建てようとするなら、より底辺が広く、より高さのあるビルにしなければならない。
出し切るための力をためる練習をすることで、底辺の広さが出てくる。力を出し切る練習をすることで、高さが生まれてくる。よって、より大きなビルが建てられることになる。
底辺の広さは、徐々に広がりと厚みをもたせて、いい土台を作ることにつながる。レース期ではない時期に、タイムを追わずに距離走をしたり、ビルドアップやインターバルでスピードを磨いたりして、足作り、体づくり、心作りを行って、出し切るための力を培って、ためる。(瀬古利彦著『マラソンの真髄』P79)」
瀬古さんの話を要約すると、勝つための練習はTTありきで、そのTTで良い練習をするには、インターバルなどのスピード練習やタイムを追わない距離走が重要だということです。こうやってみてみると、もはや質より量にも、量より質にも分類することが難しいということがお分かりいただけると思います。そんな単純に竹を割ったように、質より量とか量より質とか分類できるものではないんです。
一度藤原新さんが瀬古さんに「マラソンは質ですか?量ですか?」と質問したところ、「馬鹿野郎!そんなのどっちもに決まってんだろ!」と怒られたそうです。ちなみに瀬古さんが40キロのタイムトライアルをバンバンやっていたという話を聞いて、藤原さんは「40キロは無理だけど、20キロや25キロならできる」と思い、20キロや25キロのペーストライアルを取り入れて、2012年の東京マラソンで2時間7分48秒という好記録をマークされました。
超距離走について
さて、ここまで質より量とか量より質とかいう話から出発して、宗さんと瀬古さんのトレーニングを紐解いて来ましたが、昔の選手が質より量と言われる理由にはもう一つ、超距離走の存在があると思います。超距離走というのは60キロ走や80キロ走、100キロ走のようなマラソンの距離をはるかに超える距離の練習のことです。
では、宗さんや瀬古さんはこの超距離走で、強靭な肉体を作ってレースで結果を出したのでしょうか?実は本人たちもそうではないことを自覚した上で、超距離走に取り組まれていたのです。
「初期の頃、なぜ失敗したマラソンがあるかというと、練習不足というよりは、やはり42.195キロという距離が怖かったのだと思います。
マラソンを走らなくては、と思うと気分がうんざりしていました。後半、フラフラになるかもしれないと想像すると、走ることが億劫になっていた。距離と時間へのプレッシャーが、体力を奪うという面もありました。
これは最初に克服しなくてはならない課題でした。つまりは、精神的なスタミナの養成です。
マラソン練習では、おおむね持久力という意味で使われるスタミナの獲得が最重要視とされますが、そのスタミナという言葉には、もう一つの意味があります。
それは長時間走り続けることができる精神力の強さ。気持ちを途切れさせることなく、ゴールへと自分を運んでいく心の強さ。あるいは大事な場面でも気負うことなく、自分の持つ力を発揮することのできる集中力」(宗茂著『マラソンの心』P80、81)
「十二月九日の60キロ、三十一日の70キロの超長距離走について話そう。
これは、40キロを短いと感じられるようにと始めたものだ。(中略)1キロのペースは4分を少し切るくらいだから、息苦しさを味わうことはないが、5時間も6時間も走ることそのものが辛くて、途中で嫌になることもあった。
けれど、走り続けるうちに、どんなふうに走れば体が楽な状態で走れるのかを自然に考え始めて、風に身を委ね、時間を忘れて、力むことなく無心で走れるようになっていった。
それは走る座禅だった。走って無の境地にたどり着くという、なんとも言えない不思議な世界に入って行けた。
こういう練習を非科学的だという専門家もいるけれど、42キロを短い距離だと感じられないと、マラソンを速く走ることなんて不可能だ。非科学的が科学的だと私は思う。マラソンは理屈で走れないから、超長距離走で体力的にも精神的にも強靭なスタミナをつけたことは、プラスになっている」(瀬古利彦著『マラソンの真髄』P143−145)
マラソンが人間がやるスポーツである以上、精神的な要素や心の問題も必ず影響してきます。そして、心と体をはっきりと切り離して考えることは出来ません。頑張れば瞑想やイメージトレーニングで、42キロを短く感じられるようになるかもしれませんが、やっぱり人間は実際にやった方が、臨場感が高まります。イメージトレーニングで60キロを走るよりも、実際に60キロを走ったという経験を持った方が42キロは短く感じられるようになるでしょう。ただ、心の問題である以上、個人によって差があるのは当然だと思います。人によっては、速いペースで40キロを走った方が、40キロという距離に対する恐怖がなくなるのかもしれませんし、人によっては何度も40キロという距離を走った方が、40キロという距離に恐怖を感じなくなるのかもしれません。あるいは人によっては60キロや80キロを走った方が良いのかもしれません。それは心の問題なので、なかなか外からは見えないものだと思います。ただ、一つ言えることは、あまりにもゆっくり長く走るとトレーニング効果がないにも関わらず、リカバリーを妨げるということです。
因みにですが、先日今世界で最も成功しているコーチの一人であるコーチレナト・カノーヴァの講演を聞いていると、瀬古さんがマラソン練習期間に100km走を二回していることに言及していました。その100km走のことをMentalizationと呼んでいました。Mentalizationという言葉は、辞書にも載っていませんが、表現したいことは分かりますよね?瀬古さんが現役で、走っていた頃からすでに30年も経っているにも関わらず、イタリア人のレナト・カノーヴァまでその意図が正確に?届いていることに感動しました。要するに、瀬古さんが肉体的な理由から、100km走をしていたわけではないことを理解していたということです。
追伸
さて、今回は実は昔のマラソン練習は質より量で、今の練習は量より質というイメージが一般的ですが、実はそうでもないということがお分かりいただけたかと思います。そして、瀬古さんは恩師の中村清先生から色々なことを学び、中村清先生はアーサー・リディアードから学び、宗さんはその時代の先輩方のマラソンに創意工夫を加え、瀬古さんは宗さんの練習から学び、藤原さんは瀬古さんの練習から影響を受けと、様々なところで繋がりがあることがお分かりいただけたと思います。
また個人的には現在最も成功しているマラソンコーチのレナト・カノーヴァが瀬古さんのトレーニングを色々なところで引き合いに出していることも個人的には非常に興味深いことです。
さて、どんな世界でもそうですが、世界は先人たちの技術や理論の上に成り立っており、最先端と言われる理論や技術も、先人たちの知恵をさらに発展させたものです。もちろん、部分的には間違っている部分もあるかとは思いますが、それだって先人たちが途中まで理論や技術を発展させてきたからこそ、今の私たちはそれは間違っていると分かるわけです。初めから全て自分で発見や開発をしようとすれば、自分たちだって同じ間違いを起こすでしょうし、未だに電気も自動車もスマホもなかったはずです。
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