あなたは東ドイツという国がかつて存在したのをご存じでしょうか?今の若い人たちは東ドイツという国があったことをご存知ないかもしれないので、一応簡単に説明しておくと、第二次世界大戦後、ドイツはある意味連合国側にいじめられる訳です。その一つが分割統治です。東側はソ連や中国と同じ共産圏に引き込まれ、西側はイギリスやアメリカなどと同じ資本主義側に引き込まれます。
資本主義と共産主義の一番大きな違いは、経済機構の違いです。資本主義の国においては、自由経済機構が中心です。自由経済機構というのは「何をどれだけ作っていくらで売るかはその人の自由」という原則です。売り手と買い手が合意すれば、何をいくらで売っても良いということです。
一方で、共産主義諸国では計画経済機構が中心です。計画経済機構とは「何をどれだけ作っていくらで売るかは政府が決める」システムのことです。この原則は労働市場にも当てはまり、基本的に賃金も政府が一括管理し、国民全員がほぼ同じ賃金を受け取っていました。結果的には、計画経済機構では、経済が発展しないことが明らかになり、ソ連も東ドイツもなくなりました。私がケニアで合宿していたときに仲良くなったベルギー人のおっちゃんが東ドイツに旅行したそうなのですが、国民のほとんどがかろうじて生き残っている感じだったとおっしゃっていました。
当然、そういった政治機構、経済機構がスポーツにも影響を及ぼします。私のコーチであるディーター・ホーゲンは東ドイツに1953年に生まれました。ライプツィヒ大学出身で、メルケル首相とも同じ大学で同じ時を過ごしているはずです。実は東ドイツでは、スポーツにおいても政府が一括管理していたのです。
どのようなシステムかというとまだ10代の前半に国民全員に様々なテストを受けさせま
す。勉強からスポーツまで、全てのテストを受けさせ、早い段階でその子の適性を見極めます。そして、そのテストの結果により、数学が得意な子は数学、体操競技が得意な子は体操競技、中長距離走が得意な子は中長距離走が得意な子供たちばかりを一つの学校、もしくは限られた学校に集めて、共同生活を送り、優先的に強化するのです。
勿論、これらの子供は非常に優れた優秀な子供たちだったとは思います。早い段階で、そのように適性を見極め、強化していくのです。この選抜にはある程度の融通があり、10代の後半から頭角を現した子供は、後々強化指定に入ることもあります。これは長所に目を向ければ、様々なメリットがあります。最も大きなメリットの一つは、早い段階からそれに特化した生活が送れるということです。
コーチホーゲンもかつては東ドイツのホープで、学生時代から常に競技最優先の生活を送ることが出来たとおっしゃっていました。勉強もしたけど、いつも昼寝の時間があったと。いつもこういう話を聞いて思うのですが、実は同年代の日本と比べると、東ドイツはかなり先端的だったんです。日本でスポ魂が全盛の時代に、昼寝が競技力向上に有効だという研究があれば、昼寝を導入させるほど、合理的だったのです。更に日本では水を飲むなと言われていた時代に、すでに練習直後にたんぱく質、グルコースが含まれたドリンクに、ビタミンやミネラルの錠剤を摂取させていたと言いますから、驚きです。
東ドイツと言えば、ドーピングというイメージを持たれている方も多いと思いますが、これは事実です。実際に女子砲丸投げのオリンピックチャンピオンがのちに男性になり、女性と結婚したという例もあります。ほかにも女性とは思えない低い声の選手がいたとか、体毛が濃い選手がいたとか様々な例が報告されています。実はこれは俗に「ブルーピル(青色の錠剤)」と呼ばれる男性ホルモンの錠剤の摂取によるものです。
これが問題だったのは、選手の同意を得ていなかったことです。選手にはいつも摂取しているビタミンやミネラルの錠剤だと説明し、選手も知らない間に体に変化が表れていたのです。のちにこういった事実が明らかになった時には、選手側からも猛反発の声が上がりました。合理的であれば、何でもやるという柔軟性がプラスにもマイナスにも選手たちに影響を及ぼしました。
また、この時代はトレーニング内容も政府の人間が一括で決めるので、そのトレーニングに問題があった場合には、選手は自分では逆らえない時代の波に飲み込まれることになります。日本でもジュニア期においては指導者に逆らえないのが普通ですが、ただ高校くらいからは自分で学校を選ぶことが出来ます。ということは指導者を選ぶことが出来ます。それが実質不可能だったのが、東ドイツです。
コーチホーゲンも東ドイツの多すぎるレースとスピードワークに耐えきれず二十歳の時に膝を手術したものの回復せず、すぐに指導者の道を歩み始めました。そして、この時代にはレースを自由に選ぶこともできませんでした。というのも西側諸国への亡命をしたり、亡命を図る選手が後を絶たなかったからです。これはアスリートだけではなく、一般の人にもたくさんいました。バレればもちろん、国境警備隊に射殺されます。
亡命の理由は主に二つです。一つ目は、レース出場に際して、西側のレースに出る時には、政府の許可が必要だったということです。コーチホーゲンの教え子の中で最も活躍した選手の一人はウタ・ピッピヒさんという方で、ボストン、ベルリンでそれぞれ三回優勝しています。ウタさんはまさにベルリンの壁崩壊、東西ドイツ統一の前後に競技生活を送った選手です。まだ東ドイツ時代だった頃、コーチホーゲンと政府役人、ウタさんとの夕食の席で、コーチホーゲンが西側のレースの出場許可の獲得に奔走する中、暖簾に腕押しの状況が続く中で、ウタさんのフラストレーションが爆発しました、感情を爆発させ、政府役人含めその場にいた全員に「出ていけ!」と叫んだ話をしてくださったこともありました。
もう一つの経済面に関していえば、計画経済機構の国ではスポーツで活躍したからと言って、給料が上がるということは基本的にはありません。食料や燃料などは優先的に送られたり、プール付きの家に住めたり、車の所有が認められたり、色々な恩恵は受けられたようですが、西側の選手と比べれば、雲泥の差がありました。陸上競技はそもそもそこまでプロ化が進んでいないので、金銭的な理由で亡命したという話は聞いたことがありませんが、キューバの野球選手が米国に亡命する例は後を絶ちませんでした。全て金銭的な理由です。大リーガーになれば、軽く100倍は稼げる選手を抱えていたのですから、無理もありません。
ただ、これも一面的な見方にとどまってはいけません。国は国民からの税金で幼少期から選手の強化にお金を注いでいるのです。そして、その全てが国家を代表する選手に育つわけではありません。その強化費の負担は国民が等しくしているので、のちにスポーツで力をつけたからと言って、ほかの国民の何倍も給料をもらうのが妥当なのかと言われるとちょっと微妙です。いずれにしても、計画経済機構の問題は経済の循環が活発にならず、国全体で動くお金の分母が大きくならないことです。国民全体が貧しかったからこそ、問題だったのであり、国民全員が豊かであれば、給料が平等でもそこまで問題はなかったでしょう。
コーチホーゲンも政治的な事情に関しては反対しつつも、東ドイツの全てに反対していた訳ではありません。ある意味では、東ドイツでは国家ぐるみで人々が自分の得意を活かして生きていける時代ではあったのです。これに関しては、ウタさんもそうおっしゃっていました。
ウタさん
「東ドイツ時代は良かった。自分の得意を活かし、自分の専門以外のことをする必要はなかった。資本主義では、全てを金もうけに繋げないと生活が成り立たない」
私
「資本主義を捨てて、もう一度東ドイツの経済システムに戻すべきだということですか?」
ウタさん
「いいえ、それは違うわ。もう二度と東ドイツには戻りたくない。でも、全てが悪かった訳ではない」
東ドイツとケニアの共通点
コーチホーゲンは東西ドイツ統一後アメリカのボルダーにわたり、そこでイギリス人マネージャーのキム・マクドナルドさんに出会います。そして、キムさんらと共同でキンビアアスレティックスを立ち上げ、ケニア人選手の指導に当たるようになります。キンビアというのはスワヒリ語でランニングという意味で、スペリングはKimbia、前半部分のKimはキム・マクドナルドさんへの敬意も表して、大文字表記されることります。
そのコーチホーゲンがケニアと東ドイツの共通点として、「才能のある選手をプールできることだ」と言います。そして、さらに「才能のある選手にチャンスを与える環境が整っている」と。
つまりこういうことなんです。東ドイツでは早い段階で、その子の適性を見極め、著しくその分野で素質のある子には国家が英才教育を施すことは先述したとおりです。そして、ケニアでは、良くも悪くも長距離走・マラソンが唯一の大金を稼ぐ手段です。実はケニアの中でも一流選手は、カプタガット、ンゴング、エルドレット、イテンという町に集中しています。私が合宿していたイテンでは、本当に人生でのチャンスはランニングしかありません。ほかの都市でも状況はあまり変わりません。イテンよりはましかもしれませんが、大きく状況は変わりません。
そして、実際に長距離走・マラソンで大金を稼ぎ、人生を変えてきた人がたくさんいます。そして、そういった選手が自分のお金でトレーニングキャンプを作り、運営し、そして若手選手の面倒を見て育成にあたり、周囲から尊敬される、そして社会的にも、選手としても尊敬される人のところに人は集まり、そういった人にあこがれて、長距離走・マラソンを志す、極端に言えば、町全体が長距離ランナー、マラソンランナー生産工場です。
このような環境では、素質のある選手が漏れることはありえません。私自身も一応マラソン2時間13分、ハーフマラソン63分で走っていますが、市民ランナーの方の指導に当たっていて、私よりもはるかに素質のある人に出会うことはちょくちょくあります。タイムは私の方が速いのですが、素質は・・・そんな訳で、そういった人たちが幼少期から長距離走・マラソンに打ち込んでいればどうなっていたか分かりません。
ですが、ケニアのイテンでは素質のある選手がどこかに埋もれることはあり得ないのです。実際にコーチホーゲンは東ドイツで素質のある選手をたくさん育て上げたのと同じように、ケニアでもたくさんの一流選手を育て上げました。3000m世界記録保持者のダニエル・コメン、当時のハーフマラソン世界記録保持者のサミー・リレイ、当時の初マラソン世界最高記録保持者のラー二―・ルットなどです。コーチホーゲンが指導して強くならなかったのは自慢じゃありませんが、この池上秀志くらいのもんです(Give me some more time!)。
ドーピングに関していえば、ケニアでもかつての東ドイツくらいはびこっているといううわさを聞きます。特にイタリア人コーチやマネージャーについている選手は怪しいという話をよく聞きます。イタリアでは自転車競技の選手の為のエリスロポエチンの注射が盛んにおこなわれていました。エリスロポエチンというのは赤血球を産生する時に必要なホルモンです。
ただ、これは噂の域を出ませんし、東ドイツ、ケニアともに共通して言えるのは、例えドーピングをしていたとしても、それは最後の一押しにすぎないということです。日々トレーニングをする、適切な食事管理をする、しっかりと睡眠をとる、マッサージや温浴、冷浴、交代浴、サウナ、超音波、LLLT、サプリメントなど様々な方法がある中で、自分に合ったものを適切なタイミングで取り入れる、そして、最後にドーピングを使うならどうぞという最後の一押しです。
まあ、さすがに私も女性が男性になるほどまで、男性ホルモンの錠剤を摂取させることは最後の一押しとは言えないのですが、私がここで書きたいのは噂の域を出ないものは、噂として楽しんでいただきたいということです。逆に、スキャンダルを捏造し、ゴシップ記事を仕立て上げるために、ローナ・キプラガトという選手のトレーニングキャンプのごみ箱に使い捨ての注射を捨てたといううわさもあります。こうなってくると、もう何が本当なのか、外側からは分かりません。
最後に一つ、東ドイツの選手もケニアの選手も強くなるのに、一番大きな要素は信念とコミットメントです。東ドイツでは早い段階で選抜されたという誇りとともに「自分は長距離走に向いているんだ」という無邪気な信念が形成されます。ケニアでも、そうです。人口4000人の小さな町のあちこちに世界チャンピオンがいて、祖父母や、両親や、親せきや、近所のお兄さんたちが世界のロードレースやマラソンで活躍しているのを見れば自然と「自分もできる」と思い込みます。そして、両国の選手とともに、生活のほぼすべてをかけてコミットしています。それが望ましいかどうかは別にして、彼らは人生の早い段階から、他の人が思っている以上に陸上競技にコミットした生活を送っているんです。
その実態たるやある意味ではヤバいのですが、ある意味では何の秘密もないと言えるでしょう。
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