今回はあなたに合計3時間の消えた天才平井健太郎との対談全編と解説編30分の動画の告知を行わせて頂きたいのですが、その前に平井健太郎の凄さがよく分かるように、そして平井健太郎との対談がいかにあなたのお役に立つかを説明するためにしばし私の話にお付き合いください。
現在大学駅伝、長距離界で活躍する男子の99%が関東の私大生です。そして、その残りの学生のほぼ全員が京都産業大学、立命館大学、関西学院大学、大阪経済大学などの関西の私大生です。
裏事情を少しお話ししておくと、高校駅伝の強豪校から一般受験で大学進学する人はほとんどいません。全国高校駅伝が12月の末にあり、選手によってはその後の1月の都道府県対抗男子駅伝に出場します。
そもそもが高校三年間、陸上競技に多大なエネルギーを持っていかれる上に、最後の最後まで駅伝があると、一般受験にあたっては圧倒的に不利です。
従って、そこはなんとか良い大学に入れてあげたいと思う顧問の先生の親心と責任感、良い選手は先に囲い込んでおきたい大学側の需要と供給が一致して、さらに学校同士で話がついており、形だけの指定校推薦で私大に進学するケースがほとんどです。
実際、私の母校洛南高校でも、一つ上の学年は一般受験ゼロ、私の学年は私ともう一人が一般受験、1つ下の学年は一般受験ゼロです。
12月の末に全国高校駅伝に出場し、1月の都道府県対抗男子駅伝を走った私の実感としては、受験はそれほど大変ではなかったけど、背伸びして受験するのは無理だったと思います。実は私も京都大学進学を考えたこともあったのですが、いかんせん数学が厳しかったのです。文系の国公立大学受験は数学で決まるとよく言われましたが、その言葉の通り私は数学が出来ませんでした。
ちなみに、英語の同時通訳や翻訳の仕事も引き受ける今となっては笑えますが、英語も出来ませんでした。思考の片側では自分の学力で京大に受かるのは難しいという頭があり、思考のもう片側では学生6人に対し、教授が1人いる京都教育大学社会領域の魅力に魅かれて京都教育大学に入学しました。
無事倍率5倍の熾烈な競争を潜り抜けて京都教育大学に入った先には「孤独」の二文字との闘いが待っていました。当時私は大好きなB‘zの歌になぞらえてそれを「孤独のRunaway」と名付けていたのですが、まあ孤独でした。
国立大学の陸上部というのは、まあ同好会みたいなもんです。いわゆるサークルです。めいめい楽しくやって、試合だけ本気でやると言った状態です。体育領域はスポーツでの実績が強く反映されるので、将来先生になりたいインターハイ出場者や入賞者が入ってきて、たまに活躍するけど、ベースはサークルみたいなもんです。将来マラソンで飯を食いたいと思っていた私にとって仲間はゼロでした。
一方で、箱根駅伝を目指す私大となるともうセミプロなんです。金のかけ方も待遇も何もかもが違います。基本的に全寮制で強いチームともなるとトレーナーさんや管理栄養士さんがついていて、寮に治療器具やジムがあったり、夏合宿も部員全員から部費を徴収して、そこから20人に絞ってその20人の為に部費を投入して合宿をします。
シューズの提供をうけたり、学費免除、寮費免除、中にはお小遣いをもらう選手までいました。ちなみにですが、更に活躍して実業団への入団が決まるとやはり在学中に実業団からお小遣いをもらう選手もいます。もう完全にセミプロの世界です。
ただ、公平を期すために書いておくと、これは関東の私大でもトップクラスの選手の話で、基本的には関東の私大進学にあたっては4年間で1000万円かかると親御さんには説明が行きます。
私たちが大学進学の際には経験者の人たちから「4年間で1000万円かかっても有名な私大に入って箱根駅伝でも活躍したら、大企業に就職できるから1000万円くらいはすぐに元取れる」と言われていました。実際に私の洛南高校時代の先輩の何人かは「お前ら借金してでも遊べ」と先輩から言われる総合商社に入っています。
ただ、我々世代は20代だと大企業に就職しても公務員になっても手取り10万円台は普通なので、もう4年間で1000万円はリーズナブルな投資ではないのかもしれません。
それはさておき、国立大宅に進学した私は、名ばかり陸上部の陸上サークルに嫌気がさして、大好きだった先輩の最後の駅伝が終わるともに2年目に退部してしまいました。
その先輩を関西大学駅伝に連れていけなかったこととその関西大学駅伝の予選会で村本一樹(現住友電工)に秒差で負けて、トップを獲れなかったことだけは心残りでしたが、それ以上名ばかり陸上部にいる意味はありませんでした。
ちなみにですが、国立大学というのはレベルの低い関西大学駅伝のさらにその予選会すらトップ出来ないというレベルが普通です。
さて、ここまで私の昔話にお付き合い頂いて何となく大学長距離界の事情がお分かりいただけましたでしょうか?
ちなみに当時国立大学帰宅部生としてハーフマラソンを63分09秒で走っただけでヤフーニュースのトップに出ました。そのくらい国立大生が長距離で活躍することは難しいのです。
ところが、それを全て上回ってみせた男がいます。それが平井健太郎です。
実績を書くだけで充分だと思うのですが、近畿駅伝3区区間2位の実績を引っさげて駅伝の名門報徳学園高校から京都大学に入学すると一年目に西日本インカレ5000m2位、5000m14分10秒、10000m29分29秒、3年目には10000m28分36秒でインカレ二位(日本人トップ)、千葉の国際駅伝にも学生選抜に選ばれ日の丸を背負い、ハーフマラソンでも62分30秒の関西学生記録を樹立しました。
母子家庭で家庭教師のアルバイトをしながら文武両道を成し遂げました。
そんな文武両道の麒麟児がどんな練習をしたのかということですが、練習の負荷で言えば、私よりも圧倒的に下です。申し訳ないですが、圧倒的に下でした。特に大学入学直後は顕著でした。
最後まで練習を継続して、受験に臨んだ私と違い、平井は近畿駅伝の後、全く走らずに受験勉強に専念して京大合格を勝ち取り、入学した時はデブデブのくまのプーさんみたいになって入ってきました。
一方の私はと言えば、1月の都道府県対抗男子駅伝の5区8.5キロを25分23秒の区間13位というまずまずのタイムを出すと、その後も浜名湖駅伝でも区間新記録の区間賞、京都の市町村駅伝でも区間新記録の区間賞をマークするなど好調を維持していたうえに、大学入学直前まで洛南高校の九州合宿に志願兵として参加し、後に二学年から5人もの選手が実業団入りすることになる大牟田高校の選手たちとしのぎを削って心身ともに削られるような練習をして入学しました。
にもかかわらず、入学して僅か3か月半後の西日本インカレの5000mで2秒後ろに平井がいました。その時、私は5000mと10000mの二種目とも最後の最後に刺されて2番になったことがショックで平井のことは記憶から抹消されていたのですが、改めて記録を見てみると、もうこの時点で??です。
一体どんな錬金術を使ったら、短期間にそこまでの差を詰めてこられるのでしょうか?
更にひと夏超えると、5000mで14分10秒と29分29秒(私は14分27秒と29分51秒)と早くも水をあけられてしまいます。二年目に私がハーフマラソンで63分09秒をマークし、一矢報いるも3年目に向こうは10000m28分36秒のハーフマラソン62分30秒と再び大きく差を開けられてしまいました。
この差はどこから来るのかと考えたときに、繰り返しになりますが、練習の負荷自体は私の方が上だったんです。これは私も平井も認めるところです。
では、どこから来るか?
これはもうトレーニング戦略しかありえません。もちろん、なんの戦略や計画も無しにがむしゃらにトレーニングして国立大学帰宅部生がハーフマラソン63分09秒で走れるほど甘くはありません。私も明確に戦略も計画も立てていました。
ただ、当時の平井には私が分かっていなかったことを分かっていたとしか思えません。
そういえばですが、今でも記憶に残っていることとして、次のようなことがありました。一応私は当時アーサー・リディア―ドというニュージーランドの稀代の名指導者のトレーニングシステムを参考に、自分なりにアレンジしてやっていたんです。
その時に何かの機会に平井もまた「俺のトレーニングはリディア―ドシステム」と言っていたので、「俺もリディア―ドシステムやで」と言ったら、「お前の練習のどこがリディア―ドシステムやねん。もっとちゃんとリディア―ドの本読め!」と彼にしては珍しくきつい口調で言われました。
今となっては平井の言わんとしていることは分かります。でも、当時の私には分かりませんでした。
結局のところ、あるトレーニング理論があった時に、その理論をどのように自分の練習に取り入れるのかという実践的観点が必要になるのですが、その実践的観点において平井と私は異なる取り入れ方をしたということです。
中には「どちらが正しい、どちらが間違っているということはない」のように白黒つけることを嫌がる人もいますが、私は彼の方がトレーニングについて深く理解していたことを認めるにやぶさかではありません。
ちなみに高校三年間の挫折と大学に入ってからの平井と自分との差という原体験がウェルビーイングオンラインスクールや有料会員プランの原点です。同じように練習していても、同じように努力していて片方は速くなるし、もう片方は遅くなる、これは一流選手からアマチュアランナーまで変わりません。
一流と言われる選手の中でも現役時代をトータルで見たときに順調だったと言えるのは宗さんご兄弟、中山竹通さん、瀬古利彦さん、高岡寿成さんなどごく一部ではないでしょうか?
頭と体の両方で理解して、それを実践するのは難しいのです。
そして、トレーニングに関していうと、正しいと間違っているの二択ではなく、その質にほぼ無限ともいえる階層があります。
もしかすると、階層自体が存在せず、連続的に存在するのかもしれません。これはどういうことかと言うと、大学時代の平井と私のトレーニングを比べたときに、明らかに両者ともにトレーニングに対する明確な計画や戦略があった訳です。
緻密さで言えば、恐らく私の方が緻密に組み立てていたでしょう。ただ、その質を考えたときに、平井の方が上だったということです。
ここまで平井健太郎という人間が如何に凄いかを書いてきたのですが、ここからはそれがあなたにどういう関係があるのかご説明しましょう。ある人のトレーニングの効率の良さを表す式があるとすれば
レース結果÷トレーニング負荷
で表すことが出来ます。もちろん、実際には正確に数値化できませんが、数学の世界は数字で表せるとは限りませんから、これで充分数式が成立します。この数式に当てはめたとき、私が知る限り平井健太郎がチャンピオンです。
もちろん、トップランナーのトレーニングは全て効率の良いトレーニングです。ただ、効率の良いやり方で常人には能わざるところの努力をしているからこそチャンピオンになれるのです。どれほど効率の良い練習をしたって、週に80kmのトレーニングで頂点に立つことは出来ません。
それを考えたときに、アマチュアランナーが出来る上限のトレーニングで最高の結果を残したのが平井健太郎です。アマチュアランナーの方も練習量の多い人なら月間300kmや400kmのトレーニングをします。
その練習量で14分10秒とか29分29秒までいったのが、平井健太郎です。中には月間300kmも走れないという人もたくさんいるでしょう。
でも、その半分のトレーニングでも平井健太郎のトレーニング戦略を理解して、ご自身のトレーニングに応用すれば、5000m15分台くらいはお茶の子さいさいだと思いませんか?
そして、5000m15分台(仮に15分50秒)なら普通にマラソンで2時間半を切ることが出来ます。ここまで来たら、もう全ランナー人口のトップ1%に入ります。Does that sound good ?
では、もっとレベルの低い人には参考にならないのかということですが、そんなことは全然ありません。これは対談の中で平井が語っていることですが、「どんな練習をしたのか、練習メニューを聞いてくる人は間違ってる。練習メニューなんて全然ライバルにさらせる」のです。
では何が重要なのかと言うと、トレーニングの目的とか戦略とか、意識するところとかそういった目に見えない部分だからです。練習メニューは紙に書いたら見えますが、それを見たところで、その裏側にある考えとか意識とか目的とかが分かっていないと何にもなりません。今回の対談であなたにお伝えするのはその背景の部分です。
ですから、サブ4からサブ10まで幅広い目標を持つ全てのアマチュアランナーのお役に立てる対談です。あらかじめ書いておくと、大前提として長距離走(5000m以上)・マラソンが速くなりたい方向けということは明示しておきます。
何故かというと、何のための戦略について話しているかと言うと「長距離走・マラソンが速くなるための戦略」だからです。
ちなみにですが、中学、高校、大学の指導者の方にも大いに参考になると思います。というよりは限られた範囲内で学生を育てるにはこれ以上適した話はないと言っても過言ではありません。
気になる受講費の方ですが、たった18000円の投資で受講して頂けるようにしました。私の手元には編集前の生ファイルがまだ残っているのですが、その中でぽろっと「いやー、これはめっちゃ勉強になるわ。これは寧ろ売れへんくらいでちょうど良いわ。知る人ぞ知るくらいの方が面白い」と言ってます。
もちろん、表向きは(経営者としては)たくさんの人に買ってほしいので、カットしましたが、これ本音なんです。これめちゃめちゃ面白いし勉強になるので、平井の話の価値が分かる人だけに買ってほしいし、分かる人だけの間で独占したいというちょっと自己中な気持ちもあります。
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