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執筆者の写真池上秀志

5週連続のレースで3つの区間新記録と区間賞 レースとレースの間の練習の組み方

「4週間もレースが続くことは今までなかったのですが、どういったことに気をつければ良いでしょうか」


 そんな質問をしたのは今から約12年半前、当時洛南高校陸上競技部長距離副主将の高橋さんでした。高橋さんは真面目な性格で、日本体育大学ではマネージャー主務として箱根駅伝優勝を陰から支え、その後も立命館宇治高校や清風高校などの強豪高校でコーチをされています。


 そんな高橋さんから頂いた回答は「レースが続くと練習自体は軽くなるしな。そんなに大変なことじゃないで。治療に行くってことも含めて、体の手入れをしっかりして良い状態を保つことちゃう」といったものだと記憶しています。


 今でもその情景が頭に思い浮かびますが、何しろ12年も前のことなので、記憶違いもあるかもしれません。


 そんな質問をしていた私でしたが、それから2年経つと5週間連続でレースに出ることになりました。1月3週目の都道府県対抗男子駅伝を皮切りに中国山口駅伝、亀岡市民駅伝、京都府市町村対抗駅伝、浜名湖駅伝の5レースです。そして、5レース中3レースで区間新記録の区間賞を獲得することになりました。


 市町村対抗駅伝、浜名湖駅伝、亀岡市民駅伝の3レースです。田舎のレースと言ってしまえば、それまでですが市町村対抗駅伝は毎年インターハイ出場者も出ますし、その年も5000m14分25秒の選手やインターハイ選手、京都府高校駅伝1区区間賞から区間3番までの選手をおさえての区間賞、その後記録も長らく破られなかったので、パフォーマンス的にはかなり発揮できていたはずです(今でも高校生最速記録かな?)。


 浜名湖駅伝も今神野大地君のYouTubeに出て対談されている志方文典さんの持つ区間記録を更新しての区間賞でした。志方さんはインターハイ5000m日本人トップや全国高校駅伝3区日本人トップなどの実績をお持ちの大エースです。そんな訳で、一言で田舎のレースと言ってもレベルはそれなりに高かったのです。


 今回はその時のことも振り返りながら、レースとレースの間の練習の組み方として一つの参考になればと思います。


 先ず、この時の流れで言えば、当然都道府県対抗男子駅伝が最高の舞台になります。各都道府県から選抜される3名の高校生が走る駅伝です。全国高校駅伝で思うような結果を残せなかった私は、ここで自分の力を少しでも証明できるようにと燃えていました。


 ここが完全にピークです。練習的にも気持ち的にもここがピークでした。この年はメンバーに入った4人の選手の力は拮抗しており、誰が落ちるか全く想像できませんでした。唯一ほぼ確定していたのは持ちタイムが一番速く京都府高校駅伝の1区でも区間賞を獲得した清水勇でしょう。


 あとの3人はそれぞれ特徴があって、力的にも甲乙つけがたいので、最後まで誰が使われるか分かりませんでした。この時の最終調整では、私は何度も「いつも通りで良いんですね」と念を押してからいきました。


 当時、私のレーススタイルは初め抑え気味に入って、後半ペースを上げていくスタイルでした。こうすることで、ほぼブレーキすることなく、余裕があれば後半ペースを上げて区間上位に入ることも狙えます。この時のレースプランは初めの1キロは3分5秒から3分00秒で入って、そこからペースを1キロ3分ペースに上げてキロ3で押していき、中間点を過ぎたら1キロ3分切るペースで押していくというプランでした。


 前日刺激の1000一本を時計を見ずに走ると3分03秒、感覚通りのタイムでした。感覚が間違っていないことをここで確認出来、私としては満足な調整でした。ところが、タイムが遅いので、やはり「池上で大丈夫か」という声が首脳陣から出たようです。だから、「いつも通りで大丈夫ですか」と念を押しておいたのに。まあ、そうなるだろうと思ったから念押ししたのですが。


 それでも、無事に5区に起用してもらうと、予定通りに初めの1キロを3分03秒で入ると、そこからキロ3で押していき、残念ながら後半はペースを上げることが出来ませんでしたが、25分23秒の区間13位でした。本当は後半2分57秒で押していき、ラスト1キロで2分55秒を切って、25分15秒切りの区間8番以内を狙っていたのですが、当時の自分の力はそんなもんかもしれません。


 全国大会は10秒遅くなると、区間順位も一気に悪くなります。オーバーペースで潰れると簡単に区間20番台にのるので、良くも悪くも自分の力を出しきれたと思います。この時は30番でもらったタスキを21番まで上げたので、ほとんど褒めない、というか声さえほとんどかけてもらったことのない短距離の柴田博之先生から「お前は京都を恥から救った」というありがたいお言葉を頂きました。


 ここで、私の集中力はいったん切れました。長かった高校生活の最後の集大成のレースと言っても良いレースでした。そこで100%の集中力を発揮したので、軽く燃え尽きていました。ところが、あと4本レースがある訳です。


 ただ、結果論で言えば、軽く燃え尽きていたのが良かったのかもしれません。というのも、余計な練習は一切しなかったからです。洛南高校陸上競技部では、最低限の練習だけ渡されてあとは自分で考えてやりなさいというスタイルでした。そんなこともあり、余計な練習をつけ足して、走れなくなることが3年間で何度もあり、思うような結果を残せなかったのですが、この時は与えられた練習以外は全くやりませんでした。


 当時の洛南高校は月曜日は朝にゴミ拾いや軽い動きづくりをして、午後は休養、火曜日はいわゆるつなぎの練習で、朝に1キロ4分以下のペースで9.2キロ走り、午後は10-12キロの各自ジョグと200m5本などの流し、水曜日に高強度な練習が入り、木曜日は軽めの練習、金曜日は火曜日と同じ練習で、土日は比較的高強度な練習という流れが多かったです。


 レースが5週続いた時は、月曜日、火曜日は完全に同じ流れで、水曜日は2000m4本を400mつなぎで、前半2本は6分20秒、後半2本は6分10秒、木曜日、金曜日、土曜日は軽めの練習をして、レースに備えるというパターンが多かったです。


 冬場ということもあり、水曜日の練習は質を追い求めるような練習は入っていませんでした。また、レースが続いていたことも理由の1つでしょう。木曜日は元々軽めの練習の日として、金曜日は通常通りの練習を行うこともありました。レースが続くと言っても、重要なレースではないので、練習を落としてばかりいたら力がつきません。


 だから、金曜日の練習は通常通りの時もありました。ただ、朝練習の1キロ4分以下の練習は安全運転でほぼ1キロ4分でいきました。このペース走は、2,3人のグループを作って各自で行い、私は朝から飛ばしていくタイプで、午後の各自ジョグでもとばしていったりしていましたが、この時は完全に安全運転で言われた練習しかしませんでした。


 更に言えば、3年生はもう全国高校駅伝も終わり、少し羽を伸ばせる時期でもあったので、思う存分調整していたように記憶しています。


 都道府県対抗男子駅伝の次の週は中国山口駅伝の6区、峠越えの15.9キロを一キロ3分7秒のペースで走り切りました。当時から距離に対する不安はなく、淡々と自分のペースで走りました。


 前日のミーティングでは、監督から笑いながら「相手に不足はないぞ」と言われながらゼッケンを渡されましたが、結果不足はなく世羅高校のチャールズ・ディランゴ選手に3分以上の大差をつけられました。


 それ以外の日本人選手には負けず区間2位の走りでタスキをつなぎました。10キロ以上の距離をレースで走ったのは、前年の中国山口駅伝6区以来2回目でしたが、その後軽めの練習しかしていなかったので、次の週の亀岡市民駅伝では3.8キロを1キロ2分52秒ペースでおして区間賞、その次の市町村対抗駅伝では6キロ区間を走って16分58秒でした。


 6キロを16分58秒は速いなと思われるかもしれませんが、この区間は6キロと言っていますが、6キロありません。おそらく20秒から25秒遅くなるはずです。仮に17分25秒とすると5キロが14分半くらいのペースなので、そんなものではないかと思います。歴代の14分20秒前後の選手が何人も走っても、出せないタイムなので、もう少し速いのかもしれませんが、せいぜい17分20秒というところでしょう。


 逆に、洛南高校生として出場した最後の浜名湖駅伝では9.6キロを29分18秒かそこらで走っていますが、これは逆に距離が長いです。男子の4区は女子の1区と前半が完全に同じコースなのですが、5キロ地点で時計を確認したら、当時の自己ベストと同じ14分43秒でした。


 これはやや速いかもしれませんが、感覚的にはほぼ同じです。そして、後半もペースは落ちてはいないので、やはり少し距離がずれているでしょう。浜名湖は風が強いので単純に他のレースとは比較できませんが、志方さんの記録を30秒塗り替えたことからもお分かりいただけるように、14分20秒や10秒の選手が走っても私よりも遅かったのですから、私の感覚もそうズレてはいないと思います。


 この5週間の間の練習で唯一例外があったのは、この浜名湖駅伝の時です。4日前に他の選手は2000m4本をやっていたように記憶していますが、この日私は足が痛くてウォーミングアップの時点でやめました。


 これも今から思えば精神的な余裕があったからです。それまでの4週連続のレースで自分の力を出せていましたし、何よりも高校3年間馬鹿みたいに走ってきたので、最後はフレッシュな状態で迎えたいなと思いました。今更ここで無理しなくても良いやって思いました。


 もちろん、足が痛かったのは事実でしたが、それまでの自分なら、あるいはそれ以降の自分ならやっていた程度の痛みです。最悪、やっていたらそこで痛めていた可能性もあるので、心の余裕が生み出した賢明な判断と言えるでしょう。


 という訳で、この時はいわゆる刺激というものをやっていません。前日にコースをジョギングして、最後に100m6本の流しだけして、それでレースを迎えました。


 今から思えば、この5週間、流しを除けばレースペースよりも速いペースでの練習というのはありませんでした。全てレースペースよりも遅いペースでの練習です。


 オーソドックスな調整方法で言えば、頻度と強度は維持して量を減らすのがオーソドックスなやり方です。ピーキングの教科書みたいなものがあれば、大抵はそのように書いていますし、そういった論文も2006年に出ているくらいです。


 ただ、私は以上のような経験から、質も量も落とすやり方で上手くいくということをお伝えさせて頂きたいと思います。レースが4週続いているというのも1つのポイントではあります。レースがスピード練習になっています。1週間に1回スピード練習をしていればそれ以外の練習は必要ないということです。


 ただ、中国山口駅伝の1週間後に3.8キロの区間を2分52秒ペースで押していることにも着目して頂きたいと思います。この時の私の5000mの自己ベストは14分43秒、都道府県対抗男子駅伝も8.5キロ区間を走っているので、直近の4週間で1キロ2分52秒ペースで走っているのは、本当に流しだけです。


 また、こんな話はどうでしょうか?


 私のコーチ、ディーター・ホーゲン氏はボストン、ニューヨーク、シカゴ、ロスアンゼルス、フランクフルト、ベルリン、ロンドンなどなどメジャーレースのチャンピオン、トップ3、トップ6を述べ200人以上指導しています。


 そんなコーチが調整が上手くいかない私にこんなことをおっしゃったことがあります。


「ボストンマラソンのチャンピオンがお前の4日前の10キロ走よりも遅いペースで、8日前に10キロ走をしている。4日前の5キロ走のペースも同様だ。一体お前は何をしているんだ?」


 コーチホーゲンの最後の調整はだいたい12日前に30キロ走を行い、8日前に10キロ走、4日前に5キロ走、それ以外の日は低強度から中強度走、中強度走、低強度走を随時組み合わせていくというやり方です。


 そうすると、最後の2週間はレースペース以上の練習が基本的にないんです。全ての練習は後半ペースを上げるので、最後少しレースペースくらいにはなりますが、基本的にレースペースで走る練習はありません。


 一度ピークを持ってきたら、それを維持する上で重要なのは、疲労を抜きながら走力を落とさないことです。このように考えた時に、走力を落とさないだけなら、何もレースペースで走る必要はないのでしょう。


 あるいは流しや200m5本程度ならレースペースで走っても疲労は抜けます。このような組み合わせで練習を考えていくとかなり軽い練習で状態を維持できます。


 また、その後大学進学後も同じように4週間や3週間レースが続く時期に、だいたい同じような流れで水曜日に1600m5本をハーフマラソンのレースペースでやっていました。当時の私で1キロ3分5秒、土トラックでやっていたので、更に400mで1秒落として400mを75秒ペースでやっていました。


 それをだいたいレースの4日前にやって、一応3日前にもう一回200mの流しを10本やって、前前日と前日は軽いジョギングだけで流しもやりませんでした。この調整の仕方で、好調を維持することが出来ました。このレースは5000mや10000mのレースだったので、400m75秒ペースはかなり遅いペースです。


 でも、こうやって練習を組むことで、好調を維持することが出来ました。


 これが唯一正しいやり方ではないですし、寧ろオーソドックスなのは頻度と強度を維持して量を減らすやり方です。ですから、調整のことを英語ではシャープニングということもあります。シャープニングとは研ぎ澄ましていくという意味です。


 鉛筆削りのように、余分なものを削り落とし、先端を尖らせていくようなイメージで、量を減らし、質を上げていくのが教科書的なやり方です。ただ、量を減らしても質を上げると疲労が抜けないことも多々あります。


 そういう場合は、質を落として楽に仕上げていくやり方も頭に入れておくと、良いと思います。機会があれば是非試してください。


また、こういったことを頭に入れておけば、レースペースの刺激を入れる時にも、「レースペースよりも遅くても大丈夫」という心理的な余裕を持つことが出来ます。


「絶対に今日の刺激でレースペースで行けないとダメ」と思うのと「最悪レースペースより遅くてもレースに合わせれば良い」と思うのとでは心理的な余裕が違うので動きも変わってきますし、さらに大きいのは残念ながら刺激で走れなかったときです。


 刺激でレースペースですら走れなかったときに、「今までやることやってきたから、今日は走れなくても大丈夫」と思うのと「ヤバイ、この距離ですらこのペースで走れなかった。試合はもう無理かも」と思って弱気でレースに臨むのとでは大きな差になります。


是非頭に入れておいてください。


 最後に、もっとレースとレースの間の練習の組み方について本格的に学びたい方にお知らせです。現在、レースとレースの間の練習の組み方について約100分で解説している講義動画を公開しています。


11月30日までの限定配信となりますので、今すぐこちらをクリックして詳細をご確認ください。

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筆者紹介

​ウェルビーイング株式会社代表取締役

池上秀志

経歴

中学 京都府亀岡市立亀岡中学校

都道府県対抗男子駅伝6区区間賞 自己ベスト3km 8分51秒

 

高校 洛南高校

京都府駅伝3年連続区間賞 チームも優勝

全国高校駅伝3年連続出場 19位 11位 18位

 

大学 京都教育大学

京都インカレ10000m優勝

関西インカレ10000m優勝 ハーフマラソン優勝

西日本インカレ 5000m 2位 10000m 2位

京都選手権 10000m優勝

近畿選手権 10000m優勝

谷川真理ハーフマラソン優勝

グアムハーフマラソン優勝

上尾ハーフマラソン一般の部優勝

 

大学卒業後

実業団4社からの誘いを断り、ドイツ人コーチDieter Hogenの下でトレーニングを続ける。所属は1990年にCoach Hogen、イギリス人マネージャーのキム・マクドナルドらで立ち上げたKimbia Athletics。

 

大阪ロードレース優勝

ハイテクハーフマラソン二連覇

ももクロマニアハーフマラソン2位

グアムマラソン優勝

大阪マラソン2位

 

自己ベスト

ハーフマラソン 63分09秒

30km 1時間31分53秒

マラソン 2時間13分41秒

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