あなたはアーサー・リディアードという稀代の名指導者をご存知ですか?
ラッセ・ヴィレン、ピーター・スネル、マレー・ハレーバーグなどのオリンピック金メダリストを育て上げ、ローマオリンピックではバリー・マギーがマラソンで銅メダルを取りました。 彼の指導の特徴は多くの有酸素ランニングを取り入れることで、東京オリンピックの800mと1500mで二冠を達成したピーター・スネルも冬場には週に一回起伏のあるコースで35㎞走を取り入れていました。
最近、改めて彼のトレーニングに関する考え方を掘り起こそうと思って原著を読んでいたら、指導者と選手の関係性という章に前回の記事『マラソントレーニングにおける全体最適と部分最適』とも関連することが書いてあったので、まとめてみたいと思います。
日本は1964年の東京オリンピックの長距離チームの強化にあたっては、このリディアードシステムを取り入れています。この時の考えを各指導者や各選手が改良を試み続けて現在に至るので、かなり間接的ではありますが、日本の主流なトレーニングプログラムはリディアードの影響を受けたものですし、世界中の成功しているほぼすべてのコーチが多かれ少なかれ間接的にリディアードの影響を受けていると言っても過言ではありません。
前回の記事では私は何度も優れた指導者の重要性を語りましたが、彼もまた指導者の重要性を強調し、また選手と指導者の関係性の重要性を説いています。ちなみに彼が指導者として主に活躍したのは1950年代後半から1980年代くらいまでなので時代で言うと二昔前くらいの感じですが、現代でもほぼほぼ共通する問題点を指摘していてその慧眼には驚かされます。
選手と指導者の関係性選手と指導者の関係性において鍵となるのはモチベーションだと彼は言います。そして、モチベーションの鍵となるのは希望です。従って、目標は常に現実的でなければならず、指導者は常に選手に希望的観測ではなく、予想するタイムのうち最も遅いタイムを伝えなければならないと述べます。そうしなければ、選手も指導者も自分たち自身に怒りをぶつけることになります。
一例として、彼がニュージーランドの選手団を連れてヨーロッパ遠征に臨んだ時のことを述べています。その選手団の中に他の指導者の選手で「お前ならだれにでも勝てる」といわれている選手がいました。 ヨーロッパ遠征の初めの800mレースでその選手は終始先頭に立って、レースを引っ張りましたが、最後の直線で他の選手に抜き去られ、そのレースはリディアードが指導するピーター・スネルがとりました。
その後の出来事については、以下『Running to the top』からそのまま引用したいと思います(筆者訳)。
そのレースの後私が彼を見ると、両手にスパイクシューズを手にしてうなだれて競技場を後にするところだった。私が彼にこれからどこに行くのかと尋ねるとホテルに帰るところだと答えた。
「いや、ちょっとここで待っててくれ」私は彼に言った。
私は競技会のマネージャーと彼の21歳の女性秘書のところに行き、その若い女性に今夜は何をしているのかと尋ねた。
「特に何も」彼女は答えた。
「何故?」「あそこにいる奴を見てくれ。彼と一緒に今夜ナイトクラブに行ってほしい。彼を元気づけてやりたいんだ。金は払うから」私はその選手のところに戻ってこう言った。
「あそこにいる女の子が見えるか?彼女が今夜お前と一緒に出かけてくれるんだ」私はお互いを紹介した。
次に私がその選手を見たのは、彼が次の日の朝10時頃ホテルから飛びだしていく時だった。「どこに行くんだ?」
「例の女の子と出かけるんです」
「楽しんで来いよ」
彼はすぐに落ち込みから回復した。そして世界中には良いランナーがたくさんいることに気付き、彼らと対峙する時はスタートから先頭に立って逃げ切ることは出来ないということに気付いた。その遠征の残りのレースでは彼は本当に良い走りをした。本当に。
前回の記事『マラソントレーニングにおける全体最適と部分最適』の文脈の中で解説させてもらうと、部分だけに目を向けると、部分だけに目を向けると若い女性とナイトクラブに行ったからといってレース結果が良くなるわけではないが、全体を見てその時その選手にはそれが必要だと気付いたら、世話してやることで全体最適を図る、彼が一流の指導者である何よりの証拠であり、心理的な要素がレース結果に影響を及ぼすということを常に頭の中に置いていたということです。
この例を通じて彼が言いたかったことは、選手に過度のプレッシャーや期待をもたせるようなことをレース前に言ってはならないということですが、その後の修正がまた見事です。
指導者と選手の間における誠意
リディアードは選手に対して誠意を求め、自身も選手に対して誠意を尽くすよう努めます。選手が一度でもリディアードを落ち込ませるようなことをしたら、二度目はありません。
一例として、他のコーチが指導していたある選手のことを述べています。その選手はある日練習に出てきませんでした。コーチが次にその選手を見かけた時、「どうしたんだ?」と聞くと、その選手はカジュアルに「もう走らないことに決めたんです」と答えました。このような可能性のある選手を指導することは時間の無駄でしかありません。
興味深いことにリディアードが選手と指導者の理想的な関係性として挙げているのが、中村清先生とその選手達です。中村先生は選手の面倒をよく見て誠意をもって接していたし、選手もまた中村先生に対して敬意をもって接していた最上級の例だとリディアードは述べています。中村清先生に関しては敵が多いことでも有名ですが、陸上競技に対する情熱は半端ではないものがあったようです。この辺のことは大学時代に中村先生の薫陶を受け、現在は経済小説家として活躍されている黒木亮(本名金山雅彦)さんの書いた私小説『冬の喝采』に詳しく書かれています。
他にもコーチとスポンサー、コーチと陸連役員、コーチとコーチの間にも様々な問題があります。
よくある問題としては、スポンサーや陸連役員が早急に結果を求めることだといいます。システマチックなトレーニングプログラムが必要で、最低五年くらいの長期目線で選手をじっくりと育てる必要がある、ありがちな間違いはすぐに結果を出そうとして、基礎をおろそかにし、その選手が長期的に到達すべき能力を発揮できないままに終わらせてしまうことだといいます。よく次のオリンピックで結果を出してほしいと頼まれることがあるが、それは間違った考えで、今からリディアードが指導し始めるなら結果を出すのは次の次のオリンピックだと彼は言います。
但し、こういった観点からも彼は選手に誠意を求めます。コーチは長期目線で指導するし、スポンサーに対してもそれを理解することを要請します。そうやって、強くした選手が強くなったからといって、その指導者を離れたらどうなるでしょうか?指導者からすると先行投資が無駄になります。だからこそ、選手も指導者も誠意をもって接することが必要となります。
結果を出した選手は自分は競技に対して深く理解し、指導者無しでもやっていけるとおもいこんでいることが多いですが、実際には優れた指導者からの客観的なアドバイス無しで本当のポテンシャルを発揮することは難しいと彼は言います。
1964年東京オリンピックでは、フィンランドのやり投げ選手ネヴァラが金メダルを獲得しました。その選手はとても良いコーチについていたにもかかわらず、そのコーチ無しでも勝てたと言い出し、自分のやり方で練習するようになりました。その後、そのコーチはキノネンという選手を指導し始め、やがて、キノネンがネヴァラに勝つようになりました。
リディアードも同じような経験を持っていますし、コーチホーゲンも同じ経験を持っています。がしかし、キンビアマネジメントを離れた後で、かつてのように活躍した選手はそういません。彼らは「ディーター(コーチホーゲンの下の名前)から、トレーニングに関するすべてを教わった。今もディーターと一緒にやっていた時と同じようにトレーニングしている」と言っていますが、全体を見て、全体最適を図るために女の子とナイトクラブに行って来いというのと、女の子とナイトクラブに行ったという部分しか見えていないのでは全く違います。
たいていの場合、女の子とナイトクラブに行ったからと言って、競技結果が改善されないということは簡単に理解できると思いますが、ことトレーニングに関しては同じことが起きても部分しか見えていない選手やコーチにはなかなか理解できないものです。
マネージャーと選手の関係性も考える必要があります。日本では川内優輝さんがプロになって以降、マネージャーと上手くいっておらず、現在は距離を置いています。神野大地君もマネジメント会社と上手くいっておらず、離れるとか離れないとか聞いています。藤原新さんもそういった問題を抱えていた時期がありました。
リディアードはこの問題を単純明快に説明しています。
「コーチがマネージャーの仕事に慣れるのにさほど苦労は要らないが、逆は難しい」
要するに、一言で言えば、素人さんにマネジメントを任せるから問題が起きるのは当然だということです。交渉のプロであっても、競技のことが分からない人にマネジメントを任せるのは難しいです。
そして、選手がそのマネージャーに対する尊敬、誠意、好意などを抱いていないことが根本的な問題です。選手の側にもやはり問題はあるということです。尊敬していないなら初めから頼まない、頼んだからには相手のことを信頼する、二つのうちの一つに絞るべきなのですが、印象としては頼んでおきながらああだ、こうだと後で不満を述べる選手が多いように思います。
藤原新さんや川内優輝さんが注目を浴びた2011年以降、実業団やマネージャーの存在が度々問題にされ、その弊害が指摘されてきました。選手の側も独立してやる人が増えてきましたが、実業団やマネージャ―といった制度には、私個人的には、何の問題も感じません。問題は選手と指導者や会社との間に信頼関係や誠意が築けていないことです。
勿論、入ってみたらやっぱり合わなかったとか、やっているうちに自分の方向性が見えてきたというのは当然あるのですが、あえて言えば、大学時代から企業から優遇されたり、様々な保証をつけてもらったり、そして一番重要なのは入る前から実業団がどういうところか円満制度が存在することを知っていながら(知らなかったとしても本人の怠慢です)、入社したのに数年ですぐに独立するというのは若干誠意にかけると言わざるを得ないように感じます。
尊敬していた指導者が出ていったり、待遇の改善を要求しても応えてもらえず、他から良いオファーを提示されたなど、離れて当然の状況もあるのですが、一部では偏った実業団の非難が多いように感じます。
ただ逆の立場から言えば、指導者やマネージャーの方も選手から信頼されるだけのものを持っていなければいけません。恐怖や権威だけで選手の信頼を得ることは不可能です。中村清先生は戦後の食糧不足の時代に、選手にカレーを食べさせて、自分と家族は裏で自分の顔が映るような雑炊を食べていたこと、ニュージーランドまで足を運び、リディアードシステムを学んでいたことなどは忘れられるべきではありません。
さて、話を戻してリディアードはどうしていたかということですが、「コーチは彼のトレーニングシステムに確信が持てない選手を指導しない方が良い」という単純明快な持論を持っていました。
これは私のコーチも同じです。「彼(彼女)がどれほど速い選手であっても、ワールドチャンピオンであっても、我々のマネジメントに興味がないなら、出ていかせなさい」
因みにリディアードは指導していた選手が手柄を独り占めにする逆の例として、こっそりとコーチのお陰だと告白してきたウーハ・ヴァ―タイネンの例を挙げています。この選手がヨーロッパ選手権の10000mでラスト一周を53秒でカバーし、27分33秒で優勝した後のことです。彼はリディアードを夕食に誘いました。
ヴァ―タイネン選手は1967年のリディアードの講義に人に気付かれないように、後ろの方で出席していたのです。そして、彼の講義を受けて嘲笑しましたが、とにかく彼はやってみることにしたのです。そして、それが結果につながったとヨーロッパ選手権の後に告白しました。
さて、ここまでだけだと、リディアードが若干冷たく厳しいだけの人と思われるかもしれませんが、彼はトレーニングは常に楽しむべきだといいます。例え、世界トップクラスのランナーの為のトレーニングでも自分の体を痛めつけ、しかめっ面をしながらやるのは間違っているといいます。
「もちろん、トレーニングは少し苦しい。しかし、同時に楽しむべきだ」と彼は言います。
従って、コーチは機知に富み、温和な性格であるのが望ましいといいます。そうすれば、選手は楽しい雰囲気の中で練習が出来ます。そして、トレーニングに対して熱心じゃない人がいるのは問題ではあるが、彼らはトレーニングの後に皆でワイワイしながらビールを飲んだり、夕食に出かけたりするのが楽しみでそこにいる。エリートランナーにはなれないが、そこに何の問題もないし、彼らはエリートランナーよりも楽しんでいると言います。
彼の柔軟性を感じていただけるかと思います。ちなみに彼は多くの心臓病の患者やその他の生活習慣病患者にジョギングを薦め、健康の改善に大きく貢献したことでも有名です。
今回は指導者と選手の関係性について書きましたが、改めて全体最適と部分最適についても考えていただけると幸いです。
最後に選手と指導者の関係性で考えていただきたいのが、自由に関する問題です。実は指導者やマネージャー、会社に対して不平や不満を言う人ほど、不自由な生き方をしています。
原因が相手にあると考える=自分のコントロールの外側にある=変えられないものとして捉えているからです。そして、このような考え方が潜在意識の中にある以上、それが現実になります。
一方で、常に自分の責任だと考える人は原因が自分の中にあると考える=自分の所為なんだから自分でコントロールできる=変えられるという思考回路が潜在意識の中にあるので、実際にどうにかこうにかして変えていきます。
問題の原因を自己の内側に見出し、常に自己責任だから自分が物事をコントロール出来るという考え方のことをインサイドアウトというのですが、カフカという私の敬愛するブロガーさんが『エマ・ワトソンとバーボンを』の中で書いていますので、インサイドアウトという概念をもう少し考えてみたいという方は、こちらをクリックして彼のブログに行って読んでみてください。周囲の人や環境の所為にしてしまう癖があるなと思う方は、一度は読んでみてください。
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