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執筆者の写真池上秀志

ハーフマラソンを63分09秒で走った国立大学帰宅部生の練習

更新日:2021年10月18日


 今回は読者様からのリクエストにお応えして大学時代の練習内容について触れてみたいと思います。コーチホーゲンに出会って以降のトレーニングプログラムについては㊙と言われていますので、公開することは出来ませんが今回はコーチもなくトレーニングパートナーもいなかった一人で練習していた頃のプログラムを公開します。

1.背景

 今回は具体的な内容を公開することにしましたが、一番大切なのは具体的なトレーニングプログラムの背景です。正直、方法論というのは無限にあるのですが、だからと言って何をやっても正しいということにはなりませんし、当時の自分のやり方が正しかったとも思いません。ただどこを目指しどういった考え方に基づいてトレーニングプログラムを組んでいたのかを先に述べておきたいと思います。

 今回公開するトレーニングプログラムは私の19歳から20歳にかけてのプログラムです。この頃の私の意識は「大学を卒業して3年以内に2時間10分を切るための基礎作り」でした。この頃ある実業団の監督さんがわざわざ京都教育大学教育まで勧誘の為に足を運んでくださり、恩師の谷口博先生と三人で食堂で話をさせていただいたのですが、その時「陸上部をやめた池上の目標は何なの?」と聞かれて「大学卒業して三年以内に2時間10分を切ることです」とはっきり答えたことを今でも覚えています。実際にはまだ達成できていないので当時の自分に謝りたい気持ちでいっぱいですが、そこはおいておき話を前に進めると、当時はその為の基礎作りという意識を持って練習していました。

 色々な方から話を聞いたり、本を読んだり、インタビュー記事を読む中で私が出した当時の自分に必要だと感じていたものは

  • 総走行距離を増やすこと

  • 1500のスピードをあげること

  • タフネス

の3点でした。1に関しては当時浅井えり子さんの『新・ゆっくり走れば速くなる』を読んだり、中山竹通さんのあるインタビュー記事の中の「今の若い選手には年間12000㎞走るくらいの気概を見せてほしい」という言葉からとにかくゆっくりでもいいから先ずは総走行距離を増やしてみようと思いました。

 それでもただ距離を踏めばよいとは思っていませんでした。高校時代の恩師からは「1500のスピードを上げなさい」と言われていましたし、運動生理学的にもこのペースでの反復がランニングエコノミーを向上させるとされています。言うまでもなくランニングエコノミーの改善はマラソンのタイム向上に必須の要素でポーラ・ラドクリフの10代の頃からマラソン世界記録達成後までの有酸素プロフィールをみると最大酸素摂取量はほとんど変わっておらず、ランニングエコノミーが大きく改善されていました。またジャック・ダニエルズ博士が著書の『Daniel’s Running Formula』(翻訳本はコチラ)の中で「1500―3000mのレースペースを疾走時間の2―4倍の休息を挟んで行うレペティショントレーニングは体への負担が少なく故障やハイパートレーニング(オーバートレーニング)のリスクは少ない」としていたことからも高い総走行距離との両立が可能だと判断しました。

 3点目のタフネスですが、これは周りの選手を見ていて痛感したことです。今の時代はエコパの記録会や日体大記録会で持ちタイムは良い選手が多いのですが、それが選手権や駅伝になるとまるで別人のように弱くなる選手が多いです。関西にも良い選手はたくさんいるのですが、風がきつかったり起伏のあるコースになると私はほとんど負けませんでした。故障明けの京都選手権で調子が悪かったので400m68―70秒で一周、次の一周か二周を74―76秒に落として変化をつけて最終的には相手が給水を取りに行った時にペースを上げて振り切ったりしたことがありますが、それで振り切れるのも他の選手が様々な想定をせずに練習していたからだと思います。当時は悪条件のレースほど負けた記憶がないです。関西にいて良かったと思うのは私のように弱い選手でもペースを上げ下げしたり、ロングスパートをかけたり、ラスト2000mとラスト400mで二段階スパートをかけたりと色々な駆け引き次第で勝ったり負けたりを経験させてもらえたことです。これが関東の大学に行っていたら駆け引きするところまで行けなかったと思います。入学一年目の西日本インカレで10000mはラスト200mで5000mはラスト100mで刺されて二番にしかなれなかったのも今となっては良い勉強でした。関西インカレの5000mでもラスト200mで大学院生二人に刺されて3番にしかなれませんでした。5000mで勝っていれば5000m、10000m、ハーフマラソンと三冠だっただけに悔しいレースでしたが、駆け引きを学ばせてもらえた貴重なレースでした。

 という訳で当時は敢えて真夏の京都で10時から40㎞走をやったり、授業が詰まっているときは朝の4時半からウォーミングアップをして5時からインターバルをしたり、起伏のあるコースを走りこんだり、強風の鴨川で練習したり、芝生の不整地を走ったりと色々なパターンを作ってどんな状況でも自分の力が出せるようにという意識を持っていました。

 タフネスというのは勿論精神的な意味あいも込めての話です。この頃から自分のことは出来るだけ自分でするという気持ちは持っていたので、今でも様々な交渉や人前で話したり、一人で外国に行っても困ることはないです。読者の皆さんからするとくだらないことかもしれませんが、自炊したり夜行バスや宿の手配を自分でしたり、一人で他大学や実業団の合宿に入れていただいたり、トレーニングプログラムを自分で立てて一人で遂行し、反省してトレーニングプログラムを見直し、進路の話も自分で色々な人と話してとやってみると意外と大変だったということはたくさんありました。というか何でも一人でやってみると大変なことだらけなので、困るという状況に慣れることが出来ました。お陰様で今でもたいていのことは何とかなると思えますし、実際何とかなっています。お湯無し、冷蔵庫無し、冷暖房無し、テレビ無し、水洗トイレ無し、洗濯機無し、ガスコンロ・IH 無しでも数か月普通に暮らせるようになりました。英語を本腰入れて勉強し始めたのもこの頃で、今では様々な知識習得やビジネスに役立っています。ドイツ語をかじりだしたのもこの頃で、ドイツ語もビジネスでは問題なく話せるようになっています。

2.実際のトレーニング

実際のトレーニングの組み方は単純で週に2-3回の質の高い練習と低強度から中強度の練習の組み合わせです。基本的には以下の練習の組み合わせでした。

  • ジョギング

  • 中強度の持久走(決して楽ではないがきつくもない)

  • 高強度の持久走(ハーフマラソンのレースペースまで)

  • クルーズインターバル(ハーフマラソンのレースペース)

  • V.o2maxインターバル(3000―10000mのレースペース)

  • レペティション(1500mのレースペース)

  • トラックレース、クロカン

 この頃大切にしていたのはペースの目安は目標とするレースペースではなく、自己ベスト若しくは直近のレースのタイムや自分の感覚で決めていました。目標とするレースペースを練習の目安にするとどうしてもオーバートレーニングになってしまうので、基本的に練習では直近のレースのペースでしかやりませんでしたし、京都教育大学のトラックは土トラックなので1000m当たり5秒遅いペースで練習していました。当時ハーフマラソンが65分27秒、20㎞が61分39秒だったので土トラックでのクルーズインターバルは3:07-3:10/kでやっていました。やってる自分としても関東に行った洛南の同期が聞いたら鼻で笑うだろうなと思っていましたが、練習で大切なのは組み合わせと目的意識です。速ければ良いというもんでもなければ、つなぎが短ければ良いという訳でもないので今でもこれで良かったと思います。クルーズインターバルで多かったのは7-8x1600m/200mか4x3000m/400mでした。一度だけ3x5000m/1000mもやりましたし、8x2k/1‘という練習もやりました。クルーズインターバルの特徴はつなぎが短いことです。イメージとしては続けて走るイメージです。


 生理学的にも1600mの疾走区間の後200mジョギングしたところで血中乳酸値はほとんど下がりません。それでも精神的には楽で区切りもあるので集中できます。特別な練習を一回やるよりも意味のある練習を確実に継続的にこなした方が良いので、生理学的な練習効果を得つつ精神的には高い集中レベルを維持するためにこういう練習を入れていました。たまには12000mを3:05/kでやる日もあって、精神的には楽で生理学的効果を得る日と精神的にレースのイメージをつかんでおく日とは分けていました。ただ、当時の自分からすると12000mを3:05/kというのはかなり高い集中力が必要でしたし、スケジュール的にも前後の練習をある程度調整する必要があったので本当にたまにしかやりませんでした。

 V.o2maxインターバルではつなぎでしっかりと休みます。当時よくやっていたのは5-6x1600m/600mです。つなぎでしっかり休んで疾走区間はきっちりと5000m-10000mのレースペースを維持できるようにしました。当時は5000mが14:22、10000mが29:51でしたのでインターバルのペースも400mが69―72秒です。これもつなぎの長さを考えれば関東の大学の学生と比べると楽だと思います。

 レペティションに関しては割と独自の練習で200m-400mを1500mのレースペースで走り、つなぎは疾走区間と同じ距離でつないでいました。当時はタータントラックでは12x400m/400m、土トラックでは15x300m/300mをよくやりました。レペティションの時だけはタータンでも土でも同じペースでやりました。その代わり疾走区間の距離を短くして調整していました。当時は1500mのベストが3:58だったので400m63―64秒というところです。この練習で大切なことは出来るだけ速く走ることではなく、リラックスして速く走ることです。

 レースに関してはトラックレースとクロカンは全て練習の一環としてプログラムに入れていました。狙って出たのはいくつかのハーフマラソンのみです。タイムが出るに越したことはないのですが、当時からマラソンは年に2-3本しか走れないから一年間に2本狙ったレースを決めてそこにベストコンディションを持っていけるように取り組んでいました。

 当時の自分の練習の特徴を一つ上げるとすれば「組み合わせ」です。基本的にはこれらの練習プラス中強度の持久走が毎週入るようにプログラムを組んでいました。またレースに出る時期は明確に質と量を落としてレースというトレーニングに集中していました。なので私の場合、「こういう練習をやりました」みたいにいえるものが何もないです。一週間の中にも色々な練習が入っていますし、期分けも明確にしていたので総走行距離を増やす時期・減らす時期、練習がメインの時期・レースがメインの時期などで変えていましたし、休養がメインの時期もありました。質より量でも量より質でもなく、どちらも求めていたとも言えるし、どちらでもないとも言えるという感じです。


 またいろいろな経験をするということを大切にしていたので、高校生の合宿にも入れてもらいましたし、他大学の合宿に一人で参加したり、実業団の合宿に入れてもらったり、京都大学の同期で大学時代に10000m28:36でインカレ2位に入った平井健太郎と一緒に練習したり、また実業団をやめたばかりの大西洋彰さんともよく一緒に練習させていただきました。今でもそうですが一貫性がないということで一貫していました。

 それでも決して行き当たりばったりではなくPDCAサイクルを回し続けて自分なりの目的意識を常に持っていたので、突発的にレースに出たり、思い付きで練習を決めたりすることはありませんでした。これは日常生活でも一貫していて練習や勉強がその日の気分で左右されることはなく、友人からの突発的な誘いにも決して応じなかったです。もともと一人でいるのが好きな性格で寧ろ大学生とか日本人に特有の「その場のノリ」とか「空気を読む」というのが嫌いな性格なので10代から20代前半という貴重な時期に将来の自分の為に時間と労力を投資することが出来たと思っています。人間関係ではその分損することも多々ありましたが、今も当時もそういう雑音をシャットアウトできる集中力みたいなものがあるのかなと思います。

3. 実際のトレーニングプログラム

以下に谷川真理ハーフマラソンで63分09秒を出す前の6週間のプログラムを書いてみます。

区分はそれぞれ

stabi:体感補強、1:ジョギング、2:中強度、3:高強度、VI:V.o2max Interval、CI:Cruise Interval、R:Repetition

です。

2013年

12月1日 

京都陸協記録会5000m 2:49 2:49 2:55 2:55 2:54 14:22.7

12月2日

A : stabi/90‘1

12月3日

A : 60‘1

B : 60‘1/stabi

12月4日

A : 60’1/stabi

B : VI 4x1000m/200m-R4x200m/200m

12月5日

A : stabi/60’1

12月6日

A : stabi/60’1

B : 50’1

12月7日

A : 6k1

B : 兵庫県実業団記録会10000m 2:57 2:57 3:00 3:04 3:01 3:01 2:58 2:58 3:00 2:53

29:51.71

12月8日

A : 100’1

B : 3000m(9:04)-R10x400m/400m

179k per week

12月9日

90’1

12月10日

A : 60’1

B : 60’1

12月11日

A: 60’1/stabi

B : VI 4x2000m/400m-R2x400m/400m

12月12日

A : 60’1/stabi

B : wup/wind sprint 10x200m/200m/cooling down

12月13日

A :stabi/60’1

12月14日

60’1/stabi

12月15日

A : 6k1’

B : 琵琶湖クロカン8k 3:03 3:07 3:06 3 :06 3:04 3:03 3:04 2:55

24:29 2nd place


147k per week

12月16日

A : 90’1

B : 40’1

12月17日

90’1

12月18日

A : 90’1/stabi

B : アラタプロジェクト第一回選考会 神宮外苑7周

     4:01 4:05 4:04 4:10 4:10 4:09 4:04 28:44

12月19日

90’1

12月20日

A : 90’1

B : R15x300m/300m

12月21日

100’1

12月22日

90’1

180k per week

12月23日

A : 6k’1

B : 北和記録会1500m 3:59.87

C : 90’1

12月24日

A : 12k2

B : stabi/50’1

C : CI 3x5000m/1000m 15:02 15:06 14:54

12月25日

A : 90’1

B : 50’1/stabi

C : 32000m2

12月26日

26k1

12月27日

A : 60’1

B : VI 5x1000m/600m

C : 60’1

12月28日

A : 90’1

B : 20k2(1:11:52) - 10k3(31:51) 30k 1:43:43 +1k(2:51)

12月29日90’1

301k per week

12月30日

A : 60’1

B : 60’1/stabi

12月31日

A : 70’1

B : 60’1

2014年


1月1日

A : 6k1

B : 亀岡元旦ロードレース10k 16:08 14:47 30:55 1st place

1月2日

A : 95’1

1月3日

A : 45’1

1月4日

A : 18k1

B : CI 5x1600m/400m-5x200m/200m

1月5日

A : 18k1

B : 32000m2


201k per week

1月6日

A : 16k1

1月7日

A : stabi/12k1

B : 60’1

1月8日

A : 12k1

B : CI 4x1.6k/2’-R5x0.2k/0.2k

1月9日

A : 14k1

1月10日

A : 12k1

1月11日

A : 13k1

1月12日

A :6k1

B : 谷川真理ハーフマラソン 14:57 15:00 14:53 15:05 3:14

1:03:09 1st place

 この時期はレースが続いていたので中強度の練習はほとんど無く、質が高いか休養的な練習かのほぼ二択です。その中でも自分なりに間を見つけて20マイルランは入れるようにしていました。またインターバルは一度身につけた能力を維持する目的で取り入れているので本数は少なめでつなぎも比較的長めにとっているところもあります。疲労を残さないようにしながら、能力を維持していました。レースの間を見つけて12月の最後の週は無理やり練習を詰め込みました。この期間は冬休みで授業がなく練習だけに集中することが出来たのもこの時期に練習を詰めた理由です。

コーチホーゲンに出会って以降のプログラムは公開できませんが、当時と今の共通点と相違点を述べてみたいと思います。

共通点

・様々な種類のトレーニングを組み合わせること

・期分けが明確にされていること

相違点

・今の方がレースには絞って出ていること

・今は低強度の練習のみの日がほとんどないこと

・当時よりも今の方が練習は変化に富んでいて期分けもはっきりしていること

・当時ほど総走行距離を重視しないこと

・今の方が一日の中で主練習と副練習がはっきりしていること

 改めて振り返ってみると、ここにたった6週間のプログラムを公開しましたが、この6週間のプログラムから学ぶべきことはほとんど無いといって良いと思います。この時期は京都という都会で平坦なコースを中心にタータントラックでも簡単に練習でき、レースにも多く出ていました。こういう時期もあって良かったと思いますし、2015年は練習では強くなるものの故障ばかりでレースに出られませんでした。


 でも多くの故障から学んだこともありますし、この時期のお陰で今は故障しても最短期間で復帰できるようになっています。また故障したということは新しい負荷に体をさらした結果でもあります。失敗は失敗ですが、新しい試みを取り入れておくことは遅かれ早かれ必要なことなのでそれも必要なことでしたし、正直コーチホーゲンとやりだして4年たってやっと体が慣れてきたというのが本音です。コーチホーゲンとやりだした一年目のシーズンに故障を頻発したのはしょうがないかなとも思います。大学卒業後は富士見高原やケニアのイテンで起伏のあるコースを走り込み大学時代にはなかったタフネスを身につけることも出来ましたし、マラソンも4回も失敗させてもらえてピーキングについても学ばせてもらえました。

 全ての時期に共通して言えることは、自分が将来どこを目指してどうなりたいのかがはっきりわかっていないと何をやってもその時の行為や結果を評価することは出来ないということです。中長期的に何がやりたいのか、どうなりたいのかが分かっているから5年くらいのスパンで見てやっと一つの線でつながります。これが無いと、この6週間のプログラムを見たところで、「大したことないな」と思ったり、「こんなに練習してるんだ」と思ったりうわべの感想しか出てきません。今後も読者の皆さんからのリクエストがある限り具体的な方法論や技術論も公開していきたいと思いますが、常に私がどこを目指して何のために知識を習得して、何故お薦めの商品を紹介しているのかという背景を念頭に置きながらブログやメルマガを読んでいただけると幸いです。

 今後どうなっていくのかということについては自分の中でははっきりとヴィジョンが描けていますが、実際にはPDCAサイクルを回しながらなので細部はその都度変わっていくはずです。今後も変化を楽しみながら、読者の皆さんにも得た知識や経験を共有していきたいと思います。

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この時期参考にしていた本

Jack Daniels ''Daniels' Running Formula''

監修前川洋一 訳篠田美穂 『ダニエルズのランニングフォーミュラ

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筆者紹介

​ウェルビーイング株式会社代表取締役

池上秀志

経歴

中学 京都府亀岡市立亀岡中学校

都道府県対抗男子駅伝6区区間賞 自己ベスト3km 8分51秒

 

高校 洛南高校

京都府駅伝3年連続区間賞 チームも優勝

全国高校駅伝3年連続出場 19位 11位 18位

 

大学 京都教育大学

京都インカレ10000m優勝

関西インカレ10000m優勝 ハーフマラソン優勝

西日本インカレ 5000m 2位 10000m 2位

京都選手権 10000m優勝

近畿選手権 10000m優勝

谷川真理ハーフマラソン優勝

グアムハーフマラソン優勝

上尾ハーフマラソン一般の部優勝

 

大学卒業後

実業団4社からの誘いを断り、ドイツ人コーチDieter Hogenの下でトレーニングを続ける。所属は1990年にCoach Hogen、イギリス人マネージャーのキム・マクドナルドらで立ち上げたKimbia Athletics。

 

大阪ロードレース優勝

ハイテクハーフマラソン二連覇

ももクロマニアハーフマラソン2位

グアムマラソン優勝

大阪マラソン2位

 

自己ベスト

ハーフマラソン 63分09秒

30km 1時間31分53秒

マラソン 2時間13分41秒

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